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国鉄・私鉄双方の思い出 Feed

2016年4月24日 (日)

南阿蘇鉄道を訪ねた日

この度の熊本・大分両県にわたる地震災害において、亡くなられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されたすべての皆様が一日も早く普段の生活に戻られますよう、深くご祈念申し上げます。
また、南阿蘇鉄道はじめ被災地の鉄道路線が一日も早く旧に復することができますようお祈り申し上げます。

昭和61年8月、すでに僕は国鉄は休職として、写真屋でアルバイトをしながら基礎を教えてもらっていて、なかなかまとまった休日を取るのは難しかったが、友人たちと九州への旅行に出た。
その時、広島→筑豊→長崎→島原と旅をして、熊本から大分に向かう途中に立ち寄ったのが「南阿蘇鉄道」だ。

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熊本を朝立って、立野へ向かう・・朝の急行に乗ったのか・・記憶が飛んでいて判然としないが熊本9:29「火の山1号」で向かったものと推察される。立野駅でのその急行列車。
立野での接続は非常によく、すぐに高森行きの軽快気動車に乗ったように思う。

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そのまま高森まで行った・・記憶はないのだが、今回、ポジを探し出してみるとしっかり高森駅が写っている。

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高森駅構内と思しき場所に停車しているMT2000形。2連で停車している。

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構内の2連を駅外からだろうか。

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その反対側。

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トロッコ列車編成、当時、いまだ雑誌等に記事がなく、ただ、交通新聞あたりで情報を仕入れてここに来たように思う。
で・・国鉄の構内入換機が、堂々と旅客列車編成に使われているのに非常に驚いた。

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この日、次の「阿蘇白川」駅まで歩いたように記憶している。
距離としては4キロ弱、歩けない距離ではないのだが・・その「阿蘇白川」駅。

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ここでは喫茶店が営業中で、ピラフをいただいたように思う。
喫茶店の女性はとても素敵な方だった印象が残っている。
阿蘇白川駅のホーム側。

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さて、多分、ここに行きつく前に撮影したのだろう。

トロッコ列車がやってきた。さきほどのDBに挟まれた編成だ。

さほど暑かった印象がない・・写真で見る限り、阿蘇高原の空気は涼しげだ。

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トロッコ列車がゆく。

時速20キロほどだろうか・・恐ろしくゆっくりした列車だ。

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今のように高倍率ズームなどない時代、短焦点レンズを付け替えても十分撮影できる速度だ。夏空の下、なんだか超越した感のある列車が遠くなっていく。

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しばらくして、下り(つまりは登り)のトロッコ列車がやってきた。

今度は気動車を一番後ろにつないでいる。

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この列車も気動車が後押ししているとはいえ、低速だ。

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列車が視界から樹々の向こうに・・

このあと、阿蘇白川から列車に乗り高森へ・・
高森駅での写真はその時に撮影したのかもしれない。

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超越した時間を過ごした僕らは、やがて立野に帰ってきた。大分行きの急行列車までは時間がたっぷりあって、立野駅周辺でぼうっとしていた。
立野駅舎。

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立野駅に停車する南阿蘇鉄道の軽快気動車。

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国鉄の普通列車。

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阿蘇の外輪山を背景に、おとぎの国のような列車が目の前をゆっくり進んでいったあの風景はあれからちょうど30年がたった今でも忘れることができない。

どうかどうか、阿蘇の地の人々よ、災害なんかに負けず、踏ん張ってほしい。
そして愛すべき小さな鉄道もどうか旧に復することを!!

2016年3月 4日 (金)

加悦鉄道、鉄道営業の記憶

加悦鉄道の在籍車両のすべては、今も「加悦SLの広場」で見ることができるし、一部は動態保存もなされ、時としてイベントで動く姿を見ることもできるので、「思い出」としてはそれほど珍しいものではない。

だが、今の加悦駅舎があるのはかつての鉱山駅跡地であり、加悦駅はかつては町の中心部にあった。

ここでは、営業していた当時の加悦鉄道をしのんでみたいと思う。

Photo


初めて訪問したのは京都からの急行列車でだっただろうか、丹後山田まで神戸からえらい時間がかかったように思う。友人と丹後山田駅。昭和53年ごろか。

丹後山田はのちに野田川、さらに現在では与謝野と名称を変えた。

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駅に停車していたのはキハ51で、もとをただせば芸備鉄道の大型気動車、大型ながら前後にバケットを持ち、かつてはキハユニということだから合造車だった由・・芸備鉄道国有化ののち、舟木鉄道を経て加悦へ来た。

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ホーム側から見た様子
この閑散とした駅でも国鉄急行が停車したように思う。

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キハ51の車内、行商人らしいおばあさんが乗車してきた。

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運転台、なぜにもっと上から撮影しなかったのか不明・・向かいの座席に座ったままで撮影しただけか・・

列車は、貧弱な線路を船のように大きくローリングしながら進んだ。これと似た乗り心地は京福電鉄福井支社での南海11001形運用の列車で感じたことがあるが、あちらは少なくとも時速70キロ近くは出ていた。こちらは自転車程度の速度だが別府のハフ7よりも乗り心地は悪かったように記憶している。揺れると座席どころか窓枠までもが同じように揺れた。

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加悦に着いたキハ51。

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特徴的な駅舎とキハ51。

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キハ51のおでこ。。

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加悦鉄道には何度も訪問していて、実は白状すると神戸からドライブではちょうどよい距離でもあり、ガールフレンドを連れての訪問も数度あった。

これは雪の残る車庫風景、キハ083がいる。

Dc351083


DC351とキハ083、ターンテーブル。

Tmc100


除雪用TMC10、キハ101。奥に083。

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キハ101、珍しい片ボギー、バケット付きの珍車といえるがスタイルは明朗、すっきりしていて当時から好印象を持った。

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こちら、キハ101のモノクロ。

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キハ1013、当時とてすでに珍しくなりつつあった国鉄キハ10が入線した。

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女の子が一緒だと、ついついこういう写真を撮ってしまう。

キハ1013のソフトフォーカス・・案外、こういう写真が好きだったりする。

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廃止直前だったか・・代替バスの新車両と並んだキハ51。すでに、この代替バスも廃止され、今、この土地には阪急系、丹後海陸交通の路線バスしか存在しない。

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冬の田園を走るキハ083、キハ51よりもっとローリングが大きかった。ただ、さすがに国鉄形で作りはしっかりしていた。

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当時からある保存車両も・・

サハ3104、休憩室に改造されていたがまだ原型も残っている。今、レストランに改造されたこの車両から原型を想像するのは難しい。

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ハブ2、ハフではなくハブとしているのはなぜなのか、今もってわからない。

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ハ10、加悦鉄道自社発注の客車。大阪の梅鉢鉄工所製造。

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ハ10の車内、わずか数キロの鉄道にしては上等の客車だ。

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ハ4995、国鉄、明治期の面影を残す貴重な車両、実は足回りだけ使って車体は廃棄されていたが、のちに別の車両の足回りと組み合わせ復元されたとのこと。

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DB201、森製作所製の唯一の現存機関車と言われている。

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蒸気機関車、2号機。

無煙化を達成すると、過去の機関車などは廃棄されるのが通例だが、加悦の経営者たちは過去の車両も文化財として大切に保管してくれた。元々は国鉄京阪神鉄道の123号で、今では重要文化財に指定されている。

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蒸気機関車4号機。

今の長野電鉄にあたる河東鉄道の4号機が前身。

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蒸気機関車1261号機。

国鉄木次線の前身にあたる簸上(ひのかみ)鉄道出自の機関車。

最初の訪問の際は、この後宮津線で豊岡に出て、急行「白兎」に乗車、米子から「さんべ5号」で九州入りしたように記憶している。

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ついでながら、豊岡駅の急行編成。

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豊岡に停車していた国鉄の新車、まっさらのキハ47、それから30有余年、いまだにこの系列がここを走っているようになるとは思いもしなかった。

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加悦鉄道廃止のその日、昭和60年5月1日、友人たちと例によって北端方面へドライブに行った折、無理を言って加悦鉄道を少しだけ訪問させてもらった。

廃止記念列車と鉄道ファンたち、今、活躍されておられる方、僕の友人の中にもこの中におられる方があるのではなかろうか。

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その時の加悦駅。

別府鉄道や岡山臨海鉄道と異なり、ゆったりとした風景の中に溶け込んでいた加悦鉄道、今、SLの広場としてきちんと整備されているのはとてもうれしいことだ。

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最近の写真から・・

復活運転されたキハ101、関係者の方々の努力に頭が下がる。

2014年8月25日 (月)

昭和54年夏、高知への旅

四国・高知へ行ったのは国鉄に入ってしばらくしたころだ。

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このときの旅行は神戸から夜行急行「鷲羽」に乗ったように記憶している。 その「鷲羽」153系電車の様子を宇野で・・

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 「鷲羽」のサボ。

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 高松の駅ではキハ65・58・28による急行「あしずり」が迎えてくれた。

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 高松でみたオハフ61・・当時ですら貴重なクルマだった。

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 高知駅。 昨年、自家用車で高知を訪問した折に再訪したが、近代的な高架駅となってこのころの面影はなくなっていた。

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 高知駅前では土佐電鉄の路面電車が迎えてくれる。 219と221。

219

入構する219。

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 210と211。 このころ、高知駅前と桟橋を結ぶ系統は200形ばかりだったように思う。

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 215と207、カラーで。

207

 この路線に乗り、桟橋で207。

215

 215号。

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 国鉄バス、松山高知急行線。

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 はりまや橋付近で・・ 下関の山陽電気軌道から移籍の703。

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 こちらも下関からの移籍組、803・・カメラ屋さんの広告電車。

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 その803の側面には大きくNikon F2PhotomicAの絵が描かれていた。

当時の憧れのカメラだ。

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 高知駅へ向かう209。

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 「ごめん」と大書きした行き先番が名物。 622号。

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 こちらは高知大丸の広告電車、609号。

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 高知県交通の路線バス。

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 御免に到着した206号。

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 御免にて606号。

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 御免の様子。 手前に線路が見えるが、かつての鉄道線との直通線路だろうか。

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 高知駅へ戻り次の目的地、松山へ・・いったん、高松まで出たように思う。 キハ181南風、高知駅だと思うが記憶があいまいだ。(高松駅とのこと、ご教示いただきました。ありがとうございます。)

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 DF50が牽引する客車列車が発車を待つ。

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 急行「土佐」 キハ58を先頭にしていて、僕らはこの列車に乗ったように記憶している。

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キハ26・・駅名不詳・・

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 高松だろうか、キハ181特急「しおかぜ」

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 このときに「しおかぜ」に乗った記憶がなく、夜遅い急行「伊予」で松山へ向かったと記憶している。 どこで撮影したのか、この駅をご存じの方があればご教示願いたい。

(最後の写真は松山とのことでした。ご教示いただきました。ありがとうございます)

このあと、僕らは松山で伊予鉄道を訪問している。 伊予鉄道の訪問記は、またこの次に。

2014年4月 6日 (日)

筑肥線電化の頃

記録によると昭和58年3月、福岡市営地下鉄が姪浜まで延伸し、同時に電化が完成した国鉄筑肥線と相互乗り入れを開始した。 今回のエントリーはこの時期の写真で、だから昭和58年の夏から秋にかけての頃ではないだろうか。

(ご指摘いただき、地下鉄と筑肥線電化の時期を間違えていたことが判明しました。謹んでお礼申し上げますと共に訂正させていただきます)

まず、福岡市営地下鉄、1000形の斬新なデザインを、僕の当時の地元、宝殿駅で見ることができた。 甲種回送で、まずはそのときの写真を。 この編成は数日、この場所に留め置かれていたように思う。

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 上り側先頭車。福岡市ではどちらが西向きだったのかは分からない。

1000

 宝殿の駅名票と中間車。 1108と読める。

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 農業倉庫をバックにした1000系。

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 橋上駅舎工事の鉄骨と・・

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 編成をやや遠くから見た様子。

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 さて、その当時、超近代的だった福岡市1000系、初めて営業運転の実物に乗車して撮影も出来た。 姪浜でアップ。

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 ホームに入線する様子。 近代的なホームに近代的な電車・・ 新時代を感じさせるに十分だった。

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 姪浜の高架を走る1000系。 ステンレスの車体が夕日に輝いて美しい。

103

 こちらは姪浜の103系。 福岡市交通局が立派な1000系を入れたのに、国鉄が用意したのは103系だった。 もっとも、当時既に201系が登場していて、この103系は201系と103系一般型最終増備車との合いの子のような雰囲気だった。

103_2

 このときの旅行では、福岡からではなく唐津から筑肥線に乗車した。 鹿家(しかか)という駅で降りたのは地図で海岸線が近いと読んだから。 鹿家に入る博多行き103系。

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 鹿家を出る電車。

103_4

 鹿家を出る西唐津行き電車。

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 海岸線に103系がやってくる。

1032

 103系のアップ。 新規に電化され、新車が走るとは言っても、見事に1系列、同じ電車ばかりでは写欲もそそられない。

103_5

 さて、昨夏、久々に訪問した福岡の地下鉄でいきなり103系に出会った。 103系の掉尾を飾る筑肥線バージョンは顕在だった。

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2013年12月17日 (火)

京阪電鉄交野線(付・国鉄片町線)

今回は京阪電車の交野線で、1700・1800系の元特急車や戦後の標準型1300系が走っていた頃だから・・
昭和52・3年頃か。。

撮影場所は私市、河内森、河内磐船周辺だ。

1301

1300系、河内森付近の国鉄オーバークロスを行く。
1301号。

1307

こちらは1307号のアップ。
阪急700系とよく似た外観・・それもそのはずで、車体幅以外では設計が同じ、同型電車と言っても良い存在だ。

1312

こちらは1312のアップ。
幕板の広さはガラスの入手困難を表しているのか・・

1308

切通しを行く1308。
戦後の標準設計と言っても、きりりとしたスタイリングの良さ、私鉄電車の好デザインは生きていた。
用地は複線分だが単線のままだった。

1754

こちらは戦後第一世代の特急車1700系。
1754を仰ぎ見る。
1700系にいたって京阪は新しいスタイルを手に入れたかのよう。
このデザインは1810系(後の1900系)まで続く。

1801

こちらは1800系トップナンバー。
カルダン駆動、軽量構造の電車だが、デザインの基本が1700系と変わらない。
だがこのクラシックモダンこそ京阪特急の真骨頂ではなかったか。。

1801_2

その1801の俯瞰。
切通しを行く。

101

さて、この場所からは国鉄片町線も良く見えた。
片町線、河内磐船駅に101系が停車する。

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101系が河内平野を走る。
関西で最初の電化区間でもある片町線に101系は良く似合っていた。

10000

今の様子。
河内平野を望みながら走る10000系。
複線化分の用地を使って、複線化されていた。

 

2013年12月 7日 (土)

名古屋の鉄道・昭和51年。

初めて友人同士で旅をしたその行先が名古屋だ。 今回はそのときの名古屋圏での撮影から。

最初の名古屋訪問は加古川から快速電車で岐阜へ降り立つ・・今の僕の旅行の原点?のようなものだった。 当時の京阪神快速電車は113系初期車で、狭いシートピッチも当たり前の感覚、グリーン車は付いていたけど、そんなところにお金などかけない「健全さ」だった。

Dd50

乗り換えの米原駅から。 ホーム端で眺められた名物ディーゼル機関車、DD50だ。 後のEH10のアイディアはここから出たのではと思うが、2両永久連結なのに形式は各車別でDDを名乗る。

485

特急「加越」 今の「しらさぎ」のうち、米原発着の列車が「加越」を名乗っていた。 新車の485系、食堂車抜きの短編成で、北陸路への旅行では「裏技」的に使うことが多かった。

153

大垣でも乗り換えたのだろうか。 153系電車。

159

こちらは159系、名古屋圏修学旅行用、当時はまだ、座席のテーブルや大きな網棚が残っていたように思う。

 

 

岐阜の駅では、僕らが乗った電車がついたすぐあとに大阪からの特急「しなの」が到着したものだから、駅員に呼び止められた。 「特急券を出しなさい」 「僕ら、普通電車で来たんですけど」 「そんな言い訳が通ると思っているのか」 「本当です」 そういって、加古川からの列車時刻を伝えると、ようやく渋々と改札を出してくれた。 関西圏では国鉄駅員の横柄さは聞いたこと、味わったことがなく、いきなり土地の違いを見せ付けられた気がした。

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岐阜駅前には路面電車が走っていた。 ツートンカラーの名鉄揖斐線急行、528。 木造車体に鋼板貼りした電車だが、見とれてしまった。

515

こちらは新岐阜駅前の515。 この後、僕はこの路線に見せられ、足繁く通うようになる。

5500

名鉄新岐阜駅。 まず、名古屋本線ホームへ。 美合行きの特急は5500の2連。

7500

憧れのパノラマカーを始めて目の前で見た感激。 7500系特急到着。

600

各務原線ホームへ。 美濃町線直通用603。 白帯が良く似合っていた。

692

岐阜市内線692が顔を出す。

3780

HL更新車、3780系。 斬新な一人がけクロスシートが珍しかった。 旧型車だが冷房つきにも驚く。

2756

僕らが乗ったのはこちら、3750系。 クロスシートは良かったけれど、揺れがひどく、閉口した。

3400

この電車で明治村へ・・ 明治村の様子はまた別の機会にしたいと思う。 車内から流線型3400系が走る様子を・・

7500_2

名古屋市内のユースホステルで宿泊して、翌日、名鉄地下線入り口の駐車場の係員に頼み込んで、少し撮影させてもらった。 7500系の特急・・「ロボコン」の愛称がついている。

8100

DC8000系「北アルプス」先頭は元二等車の8100形だ。

7700

俯瞰、7700系。

5200

こちらは5200系。

7000

そして7000系。

80

国鉄名古屋駅で。 当時の名古屋駅は巨大なローカル駅といったイメージだった。 今思えば戦後の風情がまだ残っていたというべきか。 80系電車の初期型。

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中央西線70系電車。

85101

その中間に挟まれていたのは、サロ85から3ドア改造されたサハ85101。

85

その車内。 かつての二等車の雰囲気がよく残っていた。

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気動車急行「のりくら」あたりか、キハ28の後期形。

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EF58127,EF5887の並び。

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こちらはEF6451、EF5850。

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581系の「しらさぎ」 「金星」の間合い運用だろうか。

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さて、帰路は近鉄になった。 近鉄だと、国鉄の普通運賃分で特急に乗れた。 近鉄名古屋駅で・・ 高性能車黎明期のク1560、準急。

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4ドア通勤車1751。

1921

こちらは1922。

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3ドアの6544。

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名車、2250系。 2247号。

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反対側は2251号。 名古屋線準急は電車のバラエティが豊富で、面白かった。

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こちらは戦後すぐの6335号。

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特急、11400系。

1140010100

11400系の向こうにビスタカーが見える。

10100

ビスタカー10100系上り方が流線型の編成。 隣にもビスタカーが並ぶ。

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こちらは下り方が流線型。

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その反対側は半流線型、このデザインも好ましい。

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中間ダブルデッカー、見送りの様子。

僕らはこのあと、12000系のノンストップ特急で帰ったように記憶している。 ビスタカーへの乗車はこの次の機会になった。

 

2013年10月24日 (木)

加古川市、野口駅辺り

今回は国鉄高砂線と別府鉄道の共用駅、野口駅だ。
まずは昭和50年ごろの様子から・・

野口駅は出来たばかりの加古川市役所のすぐ東、当時は未だ田園地帯の真ん中にあった無人駅で、改札も駅舎もなかった。

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別府鉄道、機械式気動車キハ2がやってくる・・

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キハ2が田圃の中、近づいてくる。

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キハ2が踏切を通過する。

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高砂線はキハ20とキハ35、2連だ。

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遠望。
この地には目印の必要性か、鉄道駅に大木があるところが多かった。

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ホーム停車中のキハ2、これは駅の南半分。

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同じく、駅の北半分。

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野口駅北側の踏切をキハ20が通過していく。

 

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野口駅、藤原製作所前との間の区間をキハ2が行く。

 

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こちらは鶴林寺近くのキハ35。
やはりこの系列はツートンが似合う。

C11

鶴林寺公園には今もあるC11。

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こちらは多分、廃止前の頃。
キハ101は改造され、ステップ部分に車体下の裾を合わせていた。
高砂線キハ20もワントーンになった。

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夕闇の中、同時発車した二つの列車が去っていく。

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そして、既出だが夜景。
別府鉄道キハ101の横を高砂線列車が行く。

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キハ101と国鉄キハ35が並ぶ。

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駅に停車しているキハ101。

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今の野口駅付近の様子。
鉄道があった証拠に車輪のモニュメントが置かれているが、鉄道路線は交通量の多い道路となった。

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沿線、円長寺駅跡に保存?されているキハ2・・痛み方があまりにも哀しい・・

 

2013年7月12日 (金)

昭和51年京都駅。

今回はカテゴリー「国鉄の思い出」だけれども、登場する写真は近鉄のほうが多い・・
当時の僕の目線が私鉄に向けられていたからか・・ご勘弁ください。

霧の朝、京都駅には実にさまざまな列車がやってきた。
まずは国鉄から。

485 485系「雷鳥」が当時日本一のホーム長さを誇った京都駅1番線に入線・・
サロ2両にサシ込みの485系関西統一編成。

Dd546 山陰線ホームにはDD54の姿。
二次型DD54 6号機。

Df50545 こちらはDF50。
DF50 545号機。

82 キハ82系「あさしお」

18400 ここから近鉄京都駅。
ミニスナックカー18400系が入線。
京都線はこの少し前の時期まで規格が小さく、車体幅の狭い電車が走っていた。

800 近鉄通勤車には珍しい流線型、800系急行が入線。
車体幅の狭い2ドア車で、この頃は京都線急行に専ら使われていた。

900 こちらは900系。
標準車8000系の前段階の電車。

うしろに国鉄のマニが写る。

12000 12000系スナックカーの賢島行き特急。
国鉄特急をはるかに凌駕した車内設備など当時としては画期的な特急車。

8000 角ばった電車は8000系アルミ試作車。
結局はこの一編成だけに終わった。

900_2 新田辺行き準急は900系。

18000 特急18000系。
ツリカケ式、狭幅車体の特急車で、京都・橿原線専用だった。

18000_2 18000系特急のサイド。
号車表示がB・Cとなっている。
車内仕切りはなく、転換クロスが見える。

800_2 発車を待つ800系急行天理行き。
車体幅の狭い電車にドアステップをつけているのが良く分かる。

20113723 最近の様子を・・
あの頃と同じ近鉄ホームに入線するのはシリーズ21の通勤電車。

Jr2011221 JR京都駅、
山陰線ホームに停車する霜取りパンタグラフをつけた221系。

Jr2013113 巨大な駅ビルの前に停車する唯一本のオリジナルカラー113系電車。

2013年5月11日 (土)

山陽電車と国鉄高砂線の加古川橋梁

国鉄山陽本線の加古川橋梁が出てきたついでに、そのずっと南、加古川河口に近い二つの加古川橋梁を見ていただきたいと思う。
山陽電鉄本線と国鉄高砂線の加古川橋梁で、この二つの橋梁はすぐ横に並んで架けられていた。
今回のカテゴリーは「私鉄の思い出」とさせていただくけれど、これは山陽電車のほうが写真が圧倒的に多い・・つまり、列車本数がそれだけ違うことからそうさせていただいた。

撮影は昭和51年ごろからのもの、一部に既出のものがあるがご容赦いただきたいと思う。

Photo まずは加古川の看板。
建設省だったなぁ・・と、ふっと思う。

827 800系、827による普通電車。
旧型車といっても更新車が多かった山陽電車の中で、かくしゃくたる存在感を見せてくれた電車だ。

2001 2000系トップナンバー編成。
山陽電車高性能化の走りで、当初の広窓ロングシート・・激しく形態が変化していく系列の最初はあっさり薄味ということか。

2008 2000系2008。
狭い窓、転換クロス2ドア、登場早々にロングシート化されたクルマで、中間Tは3ドア。

313 300系313。
200系の機器を使った車体更新車だが、車両全長が短く、4連でもほかのクルマの3連分の輸送力しか持たない。

3601 3000系トップナンバー3600。
ちょっと後の撮影で、特急列車、普通列車の15分ヘッド運転がなされたダイヤ改正の看板をつけて走る。
それまでは、日中、特急20分ヘッド、普通10~20分ヘッドで普通のほうが運転本数が多かった。

Dd13614 高砂線DD13614が工場入場車や配給貨車を牽引する。
国鉄部内のためだけの列車。
 
277 カラー写真も少し。
250形277。
250形は当初、800系に似た外観で登場した車体更新車だが、2000系登場後はデザインが変わった。

279 250形279。
一時期の山陽普通車のイメージと言えるシリーズで、雰囲気が如何にも中規模私鉄の主力らしさに満ちていて好きな車両だった。

3606 3000系3606。
非冷房の3連、当時、2000系3000系のカルダン駆動3連車は共通の運用だったように思う。

3611 3000系3611。
これも非冷房、特急の4連だ。
中間に2000系改造の3551を連結している。

3615 3000系3615。
冷房改造がなった編成で、中間には、やはり2000系改造3555を連結、3550形も一部は冷房改造された。

3617 3000系3617。
上り特急、この編成も冷房化されている。
中間に3557を連結。

Photo_2 高砂線貨物列車。
16両ほどの貨車を従え、DD13がゆっくり川を渡る。

Dd13174 その貨物列車の先頭はDD13174。
姫路機関区にいたDLだ。

20 キハ20の2連が川を渡る。
よく見ると、前のクルマは2段上昇アルミ窓、後ろのクルマは上段がHゴム固定のバス窓タイプだ。

Tec0 ふっと、北のほうを見ると、山陽新幹線。
0系ばかりで面白みはなかったけれど・・

279_2 以上は川の西岸からだが、今度は東岸から。
250形279が土手を登ってくる。
早そうに見えるが、この当時、山陽電車には時速50キロの、高砂線には時速45キロの制限がついていた。

3054 3050系3054の特急。
3050系は当時の最新系列。

3060 3050系3060。
なぜか正面の窓押さえが黒のゴムで登場、異彩を放ち人気があった編成だ。

3062 3050系3062。
正面窓押さえは普通のグレーに戻った。

Photo_3 山陽電鉄と国鉄高砂線の橋梁が仲良く並ぶ様子。
キハ30が渡河中。

Photo_4 踏切の標識。
警報機も遮断機もない踏切で、めったにクルマも人も通らない。

35 キハ35のツートン車が土手を登ってくる。
キハ35、ツートンであるだけで、ずいぶんイメージが変わると思う。

3071 その列車の折り返し、キハ30が先頭だ。
こちらは朱色一色。

3000 昭和59年、高砂線が廃止された。

廃線跡となった橋脚を見ながら、3000系がすれ違う。
橋脚上部の補修跡は、台風で橋脚が傷んだときのものだ。

5602 新鋭5000系、新型車のヘッドマークをつけて走る。
5000系の登場は、僕が写真業界に転進した時と同時期であり、そういう意味では思い入れの強い系列でもある。
5000系は高砂線の生きている姿を見ることができなかった。

Photo_5 高砂線橋脚。
この後まもなく、この橋脚も撤去されている。

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2012年6月13日 (水)

昭和51・52年の姫路駅(その2・・付電鉄姫路駅)

この時期の姫路駅の記事は二度目だが、改めて出てきたネガを中心にご覧戴きたいと思う。

前回の「昭和51年、52年姫路駅」はこちらをご覧戴きたい。

80 下りホームに入る80系電車、一次形の4連。
前にも書いたが、山陽本線の姫路・岡山間で、もっとも似合っていたのがこの系列ではないだろうか。

80_2 上り方へ転線する80系電車、こちらは300番台。
しかし、何故この写真を立位置で撮影したのだろう?
おかげで当時の雰囲気も随分出ているように思うが・・

Photo ホーム南側にあった留置線で休むのはクモニ83。
東海道山陽線、関西地区内で活躍していた荷物電車だ。

153165 クハ165を先頭にした新快速が到着するところ。
今見ても貫禄がある。

583 電車寝台特急となった581系「なは」

583_2 こちらは同じく581系「彗星」
車両はつい先日まで北陸線でローカル改造されて走っていたものだろう。

Dd5424 播但線ホーム、東3番線に到着したDD5424牽引の客車列車。
播但線ホームには幹線の終着駅のような格調があった。

Dd5424_2 そのDD5424が客車を切り離された後、回送の準備作業。
すぐ近くの姫路機関区への回送だろうか。

185 姫新線ホームのキユニ18 5。
姫新線列車の多くは郵便荷物車を下り方に連結していた。

185_2 そのキユニ18 5を後部から。
次位のキハ26もまた、当時を物語る。

15 こちらは自分でもまさか撮影しているとは思わなかった・・岡山所属のキハユニ15 11を先頭にした姫新線列車。
長い編成を見ると、キハ35、キハ23、キハ17と思しきクルマも・・

40 登場したばかり、キハ40を最後尾にした列車。
次位のキハ20と比べると、気動車の進化の具合が一目でわかる。

422008 姫新線ホームに客車列車が停車中。
姫路所属のスハフ42が最後尾。

41 既出だが播但線ホームのオハ41。
ロングシート客車の台頭が今の103系に続く道を思わせる。

422251 播但線ホームのスハフ422251ほか。
通勤路線か、それとも幹線鉄道か、はたまたローカル線か・・
当時の播但線はさまざまな顔を持っていた。

Photo_2 姫路駅の外観。
これは昭和54年の撮影。
広島へ行く際に、姫路までは始発が早い山陽電車を使い、乗り換えの際に撮影したもの。

Photo_3 姫路駅の正面玄関。
最大級の民衆駅だった姫路駅も、すでに今は解体され、新しい駅舎が建設中だ。

30827023204 ちょっとだけ山陽電車の電鉄姫路駅の風景も。
308、2702、3204の普通電車ばかりが並んだ様子。
一番向こう、3204は網干線へ直通する電車だった。

2008 これも網干線直通の2008。
この当時、山陽電車は20分ヘッドが基本で、飾磨と姫路の間は網干線直通を入れて10分ヘッドだった。

257 「神戸」の行き先表示の257。
250形の異端車で、800形イメージの前シリーズと2000系イメージの後シリーズの中間に位置する電車だった。

103 最後に・・
つい先日の姫路駅播但線高架ホームの103系電車。
色あせが激しいが、そろそろ塗り替えの時期だろう。
この路線も他のJR西日本管内路線のように完全なワントーンになるのだろうか。