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国鉄の思い出 Feed

2015年6月14日 (日)

パノラマたっぷり、名鉄名古屋本線昭和57年春。

今回紹介する大半の写真は昭和57年春に撮影したもの、一部、その前後のものもあるが似たような時期のものだ。 これまでもこのブログで僕が名鉄SR系、中でも7000から始まるパノラマ一党に深い愛着を持っていることをお伝えしてきたが、今回はこれまでの欲求不満解消とでもいうか・・ とにかくパノラマ・・そしてそのほかの電車という感じで進めたい。

なお、一部に当時のライバルというか・・名鉄に負けっぱなしだった国鉄も登場する。

7000

名鉄の電車は伊奈を出ると終点豊橋まで停車しないが、ここは国鉄飯田線と線路を共有する区間で、飯田線の下地駅を降りて撮影した。7000系を見上げて・・ ワントーンの車体がなんとも言えずカッコイイ。

7500

 こちらは7500、連続窓はなぜ、名鉄以外には普及が遅れたのだろう。

7500b

やはり7500、惚れ惚れとする美しさだ。

165

国鉄の165系急行電車、天竜号か。

809

 名電山中駅で下車して撮影してみた。 既出だが809の荷物電車。

6000

6000系急行。 6000系の初期デザインはSRの流れをくみ、好きだった。今回登場の名鉄車両では今も現役で残るのがこの系列のみとなった。

7000_2

 白帯特急、7000系が接近する。

7000b

その列車の反対側。

7500_2

こちらは7500の急行か。

7500_3

簡素な踏切を通過する7500。

7500_4

7500をサイドから遠望気味に。

7500_5

7500、草むらの向こうを走る。

3651

新木曽川に停車するのはAL車3651、美しいツリカケ電車だ。

7000_3

その付近だったと思う。 7000の白帯車。

7500_6

こちら7500、流し撮り気味に。

7500_7

7500の編成俯瞰。 こういう美しい列車が本当に走っていた。

Dd51

同じ場所で国鉄のユーロライナーDD51。

Photo

ユーロライナーの客車。

2718

新岐阜駅を出てすぐのところ、今でもごく一部に単線区間があるが、かつてはこの区間の真横に歩道橋があり、電車を眺めるのに好都合だった。 HL車2718。

2901

OR車2901。

3901

その編成の反対側か・・OR車3901。

3715

HL車3715。

3719

HL3719。

5200

SR車5200系、中間に5000系を挟んでいた。

7000_4

新岐阜に入るワントーンの7000系。 高速か。

7000_5

こちら、白帯特急7000系。

7000_6

新岐阜を出る7000系白帯特急。

7000b_2

その反対側、豊橋行き。

7000_7

7000の急行美合行き。

70002

急カーブをゆっくりと曲がっていく。

7000_8

7000系4+4の連結部。 8連の座席指定特急が走っていたのだから今思えばすごいこと。

7500_8

7500系の入構・・

7500_9

ゆっくりと接近。

485

橋の下には国鉄485系「しらさぎ」

7500_10

新岐阜駅での7500系急行、停車のスナップ。

7700

新岐阜駅の7700系特急。

名鉄が好き、それはやはりパノラマの存在が大きかったのは言うまでもない。 だから今の僕には名鉄は特別な鉄道には見えない。 普通の大手私鉄・・ 一風変わった、非常に個性豊かだった名鉄のあのころを思いだす。 それは今でも至福のひと時でもあるが、パノラマ7000のない今の悔しさも同時に湧き上がってしまうのは致し方のないところだ。 なお、名鉄についてはまだまだ記録があるので、出していきたいと思う。

2015年5月30日 (土)

昭和52年、山陽本線夢前川橋梁にて

80系電車の廃車が確実になった頃、鷹取の国鉄寮から夢前川橋梁へ、もちろん、趣味活動として出向いた。

103

 朝早く寮を出て、まずは西明石での103系電車。 非冷房、シールドビーム2灯のいわゆる豚鼻・・側面窓は非ユニットタイプで、関東からの転入車か・・

83de101371

 姫路駅で・・ クモニ83と入替中のDE101071が出会う。

581

581系寝台特急「彗星」

5811

その編成にはサハネ581のトップナンバーが。。 サハネ581-1。

Ef5847

英賀保駅だろうか。 EF5847,正面窓はHゴム化されていないが庇のついた顔立ち・

80

夢前川橋梁。 上りの80系電車、シートピッチ拡大、アルミ窓枠の200番台が先頭だ。

80200

そのクハ86、200台のサイド。

80300

こちら、クハ86300台、クハ86はこの300代が最も美しいと思うが1両の保存も存在しない。

80300_2

 やはりクハ86、300台、築堤を行く。

113

113系電車、網干所属の7連。

115

115系電車、関東からの転入車編成。

153

153系電車、新快速。 当時、新快速には網干始発のものもあり、ヘッドマークは最初から新快速表示になっていた。 また、余談だが、姫路発、明石まで各駅停車で明石から新快速として走る列車もあった。

Ef6040

EF6040、今のEF210のごとく、あきるほど見れらた機関車だ。

Ef6653

EF6653、高速コンテナ列車だろうか。 これも余談だが、このとき、往路の153系の中で悪ふざけをしていて、列車の揺れにより思い切り尾骶骨を肘掛で打った・・ あれ以来、数年は痛かった・・ほんとうに痛い思い出だ。

80300_3

最後に・・80系電車は僕にとっては国鉄の原風景のようなもの・・ 引退は寂しかった。 その80系が日に一度だけ西明石まで顔を出していた・・その頃の宝殿での写真。

2015年4月29日 (水)

九州の国鉄・・2

前回の同名エントリー から4年も経ってしまったが、久々に九州の国鉄の写真だ。 なお、長崎本線長与支線筑肥線筑豊本線はそれぞれ別のエントリーを参照されたい。 私鉄を訪問するその過程で撮影したもので、昭和53年から57年くらいの間。 まとまりがないのはご容赦を・・

また、これまでのエントリーと重複するところもあるが、改めてスキャン、画像加工しなおしている。

1153000

 下関まで山陽本線で・・ 広島からの普通列車は115-3000。

66

小倉駅にはキハ66系の姿が・・

23

キハ23、どこでも見かけた気動車だが、全体の両数が少なく、当時から希少感はあった。

485

 485系「にちりん」

301

 西鹿児島駅で、朝、見かけたのは鹿児島交通南薩線の気動車、キハ301だった。

485_2

西鹿児島でも485系「にちりん」

4523

伊集院だと思うが客車列車のオハフ4523。

42

スハフ4243を最後尾に発車していく。

4243

スハフ4243の車内天井・・

Photo

雨の中、寝台特急が入ってくる。 「なは」あたりだろうか。

485_3

大牟田駅・・485系「有明」

4811

その先頭車両はクハ481-1だった。

495

 大牟田での485系有明編成後尾。

Ed7639

ED7639牽引の貨物列車。

Ed7639_2

ED7639がこの駅で入れ替え作業をする。

Ed731011

 ED731011、ED73を見たのはこのときが最初で最後か。

Photo_2

寝台特急14系客車は「みずほ」だ。

224482120

貨車、さすがに石炭王国の名残・・ ロセラ2120、ワフ22448。

50

飯塚の50系客車とボタヤマ。

28

豊肥線立野、キハ28系急行。

485_4

大分だと思うが、485系「にちりん」

475

撮影場所不詳・・471系快速、記憶では大分駅なのだが、当時、日豊本線にこの手の快速はなかったはず。

De101549

甘木、DE101549による貨物列車。

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 その列車の後尾。

421

 原田(はるだ)、421系電車、高運転台だが、貫通路の目貼りが哀れ。。 九州と言っても冬は寒い。

421_2

421系電車初期型の大窓タイプ。

485_5

485系「かもめ」、この頃の長崎本線特急は遅かった。

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485系「有明」が接近。

4852

「有明」が通過する。

485_7

「有明」の後尾。

Ed76

ED76が貨物列車を牽引する。

3326600

そのサイドに見えていたのはこちら、オハフ33。

26600

 キハ26、600番台で旧二等車を通勤車両に改造したもの・・気動車版オハ41か・・

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筑豊本線からの普通列車はキハ28系だった。

28_3

その気動車が転線をする。

28_4

気動車の行先板・・ちょっと見た目には何のことかわからない。

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こちらは「快速」表示のキハ28系、「くまがわ」あたりだろうか。

 

 

 

2015年4月 3日 (金)

昭和55年、舞子辺り。

今、僕は山陽本線舞子駅から山手の方へバスで15分ほど走った所に住んで、舞子・朝霧を中心に仕事をしているが、この当時、まさか自分が将来そこに住み、仕事をするようになるとは到底思えなかった・・ 昭和55年の写真である。

Photo

この夏、京阪神を走る113系快速のグリーン車が連結中止となった。 まずは、明石駅での時刻表から。

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 舞子海岸では遠い将来に向けて、架橋工事が始まっていた。 まだ海底にボーリングをしているその様子・・ この時期の精神状態を表しているのか、自分でも驚くほど暗いトーンの写真ばかりだ。

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こちら、山陽電鉄山側から見た工事現場。 淡路島の山容が今とは異なる。

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当時、山陽電鉄が国鉄をオーバークロスする跨線橋には、明治9年に開業した官設鉄道上神崎橋梁(現在の阪急京都線の一部区間になる)で使われていた「ポニー形ワーレントラス」が使われていた。 今、東二見工場の正門近くに一部が保存されているあの鉄橋だ。

3050

その橋梁を3050系が行く。

3056

当時、山陽で最も乗り心地が良いと評判だった3056Fが行く。

3056_2

3056のアップ。

30562

 更に接近する3056。 すでに3060Fも登場し、3050系エアサス車は3編成になっていたが、なぜか、この編成の乗り心地は一味違ったように思えた。 山陽電鉄は今もこの頃も、電車1両ごとの「顔」が見える鉄道だ。

286852

270形286が850形を従えてやってくる。

286

286のアップ、旧型車の車体更新車だが、作りがよく、走りもまた良く、好きなシリーズだった。

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舞子公園駅をサイドから見た様子。 停車しているのは3610号。 非冷房だ。

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3635号、黒Hゴムのちょっと個性がある風貌、3060Fの姫路側Tcだ。 海がよく見える。

113

 舞子駅南の国道から・・ 走っているのは国鉄の快速電車113系。

3000

上記ポニーワーレントラスのすぐ先にあった架道橋を渡る3000系一次車、アルミカー・・まだ、山陽が3050系でアルミカーを復活するなんて考えられなかった頃。

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神戸側に284を連結した270・850形の普通列車。

Ef5864

舞子公園の中から・・ EF5864単機回送。

117

117系電車・・このときのお天気は下り坂。 それにしても写真が暗い。

103

103系電車。

113_2

113系の快速電車。 すでに改良型2000番台は登場していたが、この電車は関東で増備が続いていた一般型ユニット窓冷房車を昭和52年に限り関西にも投入されたもの。

110901

快速電車のグリーン車、サロ110-901、国鉄旅客車で初めてのステンレスカーだ。

827

霞ヶ丘駅近くで。 800形の最後の生き残り、827。

282

その編成の神戸側先頭車は282号。

2013

日本最初の旅客用アルミカー、山陽2000系2013号。 この日は日本最初の旅客用アルミカー・ステンレスカーを見たわけだ。

3605

垂水方の急カーブを行く3605、3000系3010Fの姫路側先頭車だ。

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 この時代より少し後の撮影、山陽電鉄、舞子公園の旧駅舎。 とても大都市近郊私鉄の駅舎とは思えぬ長閑なたたずまい。 駅前にはちょっとした商店街もあった。

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この当時の舞子公園駅ホーム、駅舎は北側にあり、改札から下り線に行くには地下道を渡った。

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今の舞子公園駅。 国道や海岸から見えるJR舞子駅とは違い、再開発ビルの裏手にひっそりとたたずむ。 だが、今は直通特急も停車し、山陽では最初にバリアフリー化がすすめられた近代的な駅となった。

ちょうど阪神から乗り入れの1000系が出発する。

 

2015年3月26日 (木)

Photo Archive 国鉄最末期の完成車たち

国鉄は大きな図体で私鉄のような小回りも効かず、新しい技術や手法の導入にも決して積極ではなかったように見える。 肩を持つわけではないが、大手私鉄は比較的よい環境・・これは自然環境も含めた経営環境という意味だが・・の中で仕事ができるのに対し、国鉄は厳寒・豪雪、多雨、強風といった容赦のない自然環境で運営されることを想定せねばならず、万が一の故障や、乗務員の体調不良を呼び起こすような設計ミスはあってはならないわけで、それだけ慎重だったともいえる。

しかし、国鉄部内での技術研究は実に当時の車両メーカーや大手私鉄各社を凌駕していたのではないか・・ それが表に出なかっただけの事で、組合運動華やかなりしころ、ともすると現場からの突き上げにしどろもどろになるような新機軸はおいそれとは採用できない面もあったのだろう。 例えば、私鉄電車の華やかさを足元から支えたミンデン台車は、国鉄ではついに在来線一般車両への応用はなかったのだけれど、すでに昭和39年開業の新幹線に使われている技術であるといえば、国鉄の技術レベルの高さも納得いただけるだろうか。

しかし、自然環境や経営環境、さらには乗客、労組に鍛えられた国鉄設計陣による車両が一気に開花する時期を迎える・・ それは長い冬が一気に春を迎えるような、けれども軽薄さのない、落ち着きのある華やかさ・・ 新制御方式や新型エンジン、車体の腐食対策、車体強度の向上、乗り心地の向上、乗務環境の向上、経済性、、省電力もしくは低燃費・・ それらを一度にかなえた、いわば第二の新性能時代といってもいいような時代が国鉄末期にはあった。

そのころに生まれた車両は頑丈で、乗り心地のよい、そして乗務環境のよい優れた車両となり、その多くが今もJR各社などで健在だ。 今回はそういった車両たちを、過去の写真から洗い出して再度ご覧いただこうと思う。 なお、国鉄末期、並びにJR化直後は諸般の事情で会えていない車両も存在するため、自分自身が直接会えていない車両は割愛した。

 

25

24系25形客車、昭和49年登場・・ 寝台車が始めて諸外国並みの2段になった・・ 写真は「日本海」、倶利伽羅峠にて。 ようやく・・国鉄も変わるかもしれない・・そう思い始めたころ・・

66

 昭和50年、国鉄車両が本当に変わる・・その期待感を抱かせた車両こそ、キハ66・67だ。 吉塚の留置線での4連。

664

 キハ664、飯塚。 新幹線の博多開業に合わせて製造された大出力、転換クロスの汎用気動車だ。 長崎地区に転じたものの、今も健在。

50

 昭和52年、レッドトレインの愛称で親しまれた一般型客車、50系が登場。 武田尾駅での写真。

50_2

 飯塚駅での50系

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キハ40・47シリーズ、キハ66で得た期待を思い切りはずされた感じの気動車、ただ、車内アコモがよく、今も根強い人気がある。 写真は本年の高岡にて。

781

 昭和53年、電車の場合、しばらく既製系列の改良に力だ注がれた後に登場したのが781系、特急電車として始めて地域の特性を設計にこめた北海道専用の特急電車だ。 光珠内にて。

Ed7651851

 昭和53年、北海道にもレッドトレインが入った。 51系客車、光珠内にてED76518牽引。

117

 昭和54年。 117系電車、京都での俯瞰、運転開始初日の様子。

117_2

117系電車、震災後に一度は撤退していた京阪神新快速運用に復帰したときの様子。

117_3

117系電車、最近の京都駅での様子、最新321系と並ぶ。

201

201系電車。 須磨海岸を行く様子。

Photo

201系電車色違いの並び・・隣には「はるか」も・・野田駅にて。

105

昭和56年、105系電車・・ローカル線区用としては初めての新車、福塩線府中電車区。

105_2

 広島での可部線用105系。 1M方式を採用した新性能電車初のシステムとなった。

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185系・・急行用153系を置き換えた特急車。 急行「伊豆」にて運用の様子。

185_2

最近、オンシーズンには大垣までこの電車が顔を出してくれるようになった。 「ムーンライトながら」

183

キハ183系、高運転台、スラントノーズの初期型、それも初期のカラー、函館本線桂川で。

183_2キハ183系初期車、千歳空港にて。

119

昭和57年、119系電車。 先だっての105系と似ているが、飯田線の乗客の動向を鑑みた電車で、1M方式のセミクロス車。

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115系3000番台。 国鉄で長期にわたって製造が続く系列にもこの時期、目覚しい改善があり、113毛・115系2000番台のアコモ改善、115系1000番台の寒冷地対応などがあるが、この115系3000番台だけはシステムこそ115系だが車体はまったく別物・・ 117系の車体デザインに115系の足回りを組み合わせた車両だ。

37

 昭和58年、キハ40のローカル線にふさわしくない大型車体を改め、線区の実情に即して仕様の変更が簡単に行える車両、将来のワンマン化をも視野に入れた車両として登場・・高砂工場にて。

37_2

キハ37、加古川線野村駅(今の西脇市駅)にて。 結局5両しか製造されず、JR西では早々と廃車になってしまった。

205

 昭和60年、添加励磁制御205系の登場・・関西には少数だが京阪神緩行線と阪和線に入った。 写真は須磨付近にて。

211

211系。 113系の後継車となった。 乗り心地もアコモもよく、もう少し人気が出てもいいような車両だ。 写真はトップナンバー、クモハ211-1、亀山にて。

121

 昭和61年、厳しい経済状況が思うような新車を投入できなくなっていく・・ 旧車の部品を流用した121系電車。 坂出にて。

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 こちらも、急行型電車の機器一式を使って製造された413系電車。 登場当時の常願寺川にて。

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 青一色に塗られたが、一部は第三セクターにまで引き継がれた系列。 魚津で今冬の撮影。

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 キハ183系500番台、より高性能になった、まさに国鉄最後の力を振り絞って投入・・根室本線音別にて。

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キハ185、四国用に投入された。国鉄は自信を持って投入した軽快な特急車だが、JR四国では振り子式2000系や電車特急8000系に追われ、一部は九州へ転じて走っている。

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121系と並んだキハ185、坂出だろうか。

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民営化後の経営の厳しい線区用にローカル気動車も製造された北海道のキハ54。

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こちらは四国のキハ54、何故か四国のものはロングシートで今もそれは変わらない。

32

そして四国のキハ32、閑散線区用の軽快気動車だ。

213

 昭和62年。 国鉄電車最後の純然たる新系列・・213系。 岡山でマリンライナー運転開始当初の様子。

2134

 岡山地区ローカル電車として余生を送る今の様子。 庭瀬にて。

Ef651132

 改造車もこの時代、本当にアイデアを駆使したものが多数世に送り出された。 写真は「サロンカーなにわ」、牽引するのは機関車としては国鉄末期、昭和53年の製造、EF651132だ。

Dd51116312

こちらは12系客車の改良型を牽引するDD511163・・昭和52年製造だ。 機関車は一部の例外を除けば昭和50年半ばより国鉄解体まで製造されず、この長期にわたる古い機関車の酷使がJR化後のJR貨物に負担を与えたであろう事は容易に想像ができる。

Ef81404

 今も活躍するEF81、それも関門対応改造を施され、後に富山に転じたEF81404牽引の貨物列車・・ 後ろのコキ50000もまた、国鉄末期の標準形式だ。

Ef641014

EF64-1000・・本来は別形式にすべき機関車だが諸般の事情で従来のEF64の新番台となった機関車。国鉄が最後に作ったシリーズだ。地元、大蔵谷にてEF641014牽引の8866列車。

最後10年近くは機関車をまともに作らなかった国鉄だが、EF64、EF65、EF81、ED76、DD51、DE10が国鉄機関車の完成形と言っても良いのかもしれない。

これら国鉄最末期の完成度の高い車両たちは既に一部が鬼籍に入っているが、まだしばらくは活躍してくれるものと思っている。

Photo_2

最後に、定期運用を終了した「トワイライトエクスプレス」は機関車も客車も、まさに国鉄末期の完成度の高い車両で運行されていた。

それが長期運行が可能だった一因なのかもしれない。

2015年1月29日 (木)

国鉄急行形車両鎮魂歌

本年3月ダイヤ改正では北陸新幹線開業、上野東京ライン開業、トワイライトエクスプレスの廃止、北陸地区在来線の第三セクター化といった大きな話題が出ていて、鉄道ファン諸氏は忙しい。

しかし、その中にあって実は国鉄鉄道車両の歴史における大きな変化があることに気づいておられる人は如何程おられるだろうか。

北陸線の第三セクター化と、それに伴う車両需給により、北陸線で活躍している475・457系が引退となるのだけれども、この車両こそ、現役最後の定期運用を持つ急行型車両である。

国鉄の急行型と言うのは実に国鉄にしか存在しない用途別車種であり、その淵源はスハ43一党にまで遡る。

戦前戦後の長距離用標準型客車と言えば、オハ35一党だが、このシリーズでは急行専用という感覚は全くなかったと言っていい。

急行と言う列車種別は戦後に有料化され、列車名も付けられ、一種のステータスになってくるのであり、それに応じた客車が必要になったということだ。 そこで、戦前戦後のオハ35を一歩進め、座席定員はオハ35並みを維持しながら、可能な限りのアコモデーションの改善を行ったのがスハ43一党ということができる。

まず、今も見ることができる客車の内装から。

 

35

片上鉄道に今も保存されるオハ35の車内。 広窓、オールクロスシート、各車両に便所・洗面所がつくが片上では便洗は撤去された。

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その座席、このクルマでは内装はニス塗りのままだが、窓下に小テーブルがつく。 これは後の改造だ。 広い窓、テーブル下の灰皿・・ 長距離列車のアイテムでもある。

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その小テーブルには栓抜きがつく。 まだ売られている飲み物の大半が瓶詰の時代、この栓抜きは長距離列車には必要だった。

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こちら、大井川鉄道のオハ35、窓下にテーブルがなく、このクルマは大きな改造をされずに今に至ることが分かる。

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大井川鉄道のオハ47の座席。 座席背摺りは上下二段に分割され、下段に傾斜がついた。 少しでも乗客に寛いでもらおうという意志である。

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その座席を横から。 ハードボードは後の改造によるものがほとんどだが、この薄茶系統の色合いは急行型標準の内装材として、いや、色合いだけなら新幹線にも長く引き継がれた。 オハ35と何より変化があったのは座席窓側の肘掛だ。 この肘掛の存在が急行型車両であることの証として引き継がれていく。

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こちら、80系湘南電車初期車の車内。 座席幅は近郊電車であり、狭く設計されていて窮屈だが、すでに座席背もたれの上下二段化がなされている。 登場当時は上段部分はベニヤ板ニス塗りだった。 なお、80系では後の増備車で座席幅やピッチが広げられるが、近郊型兼用としての性格ゆえ、最後までスハ43に並ぶ内装とはならなかった。

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スハ43一党の中でも特急形に分類されるスハフ43の車内。 回転型クロスシートが並ぶ。 大井川鉄道で運用される日本ナショナルトラスト所有の貴重な車両だ。

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こちらは横川に残る軽量客車、ナハフ11の車内。 座席は近代化されるも、基本的な寸法などはスハ43とは変わらない。

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ナハフ11の座席。 窓が上下に大きくなり、雰囲気も近代的になったがスハ43と根本的な変化は存在しない。

急行型車両は無煙化、動力近代化に伴い、電車、気動車でも登場することになる。 おおむね昭和33年を境に、急行型の大増殖が始まる。

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急行型気動車キハ28系列による急行列車、7連の編成で由良川を渡る。

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熊本駅における気動車急行、駅弁売りの姿も見える。 キハ28系列は電車の153系あたりと比すと、たとえば台車がコイルばねであったり、正面にも当初は曲面ガラスを使わないなどのコストダウンが行われたが、電車急行とは違い、自然環境の厳しい線区へも入線することで、表情には厳しさも感じられた。 客窓は一段だが、電車の3ミリのガラスではなく、分厚い5ミリのガラスを採用、窓柱には窓釣バネも付けられている。

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急行型電車153系による急行「山陽」、ビュッフェ、グリーンつきの優等列車だった。 急行電車の車体は、厚さ3ミリのガラスの二段窓、各車両に便所洗面所を設けていたし、台車は空気ばねで乗り心地の向上も図られていた。

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急行型153・165系による「比叡」、大阪・名古屋を結ぶ急行として新幹線開業後も長く走り続けた。

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交直バージョンも登場・・急行型455系による急行「まつしま」・・ 急行型電車は座席はスハ43と大差ないまま発展したが、その速達性は多くの乗客の支持を集めた。

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急行型電車、475系による「ゆのくに」 特急「雷鳥」と棲み分けがなされ、急行は急行の乗客を獲得していった。

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「ゆのくに」のやや後の姿、腰の白線がなくなっている。

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北陸本線武生を発車する「立山」、 質素だがそれなりに快適な車内、足回りが特急形とそろえられた乗り心地の良い車両、リーズナブルで特急ほどではなくても速い列車、それが急行だった。ヘッドマークの翼部分が小さくなっている。

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北陸本線倶梨伽羅峠を行く475系、この当時、急行電車の間合い運用で使われていた普通電車ではヘッドマークは白無地になっていた。

しかし、世の中の経済事情が好転、より速くて設備のよい特急列車を乗客が好むようになってきた。

国鉄としてもいつまでも硬いボックスシートに乗客を詰め込んでいたのでは、航空機や高速バスとの競争に打ち勝って生き残りを図ることはできない 急行列車の特急格上げが続き、急行型車両の製造がなされなくなっていく。 実際、計画された急行型電車163系はサロを僅かに作ったのみで計画が中止され、183系特急電車の新製へと変化していくし、185系は急行用として設計されながらも結果的には特急用となった。

電車としての急行型は457系を最後に製造されず、あとは相次ぐ特急格上げの実施により急行の肩身が狭くなる時代となる。

その頃、当初より冷房装備が当たり前だった特急電車・気動車はもちろんだが、急行においても急行料金を頂戴する上からサービスの向上のために冷房化が推し進められた。 気動車においては、冷房化による出力向上のため、特に山岳区間の輸送の安定化を図るために新型急行型が登場、大出力エンジンを持つキハ65は実は12系客車と同じ車体に運転台を取り付け、便所洗面所を省略した形態をしていた。

 

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写真は急行「うわじま」で、キハ65は単独での運用はなされす、キハ28系列急行の出力確保のために連結された。

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ただし、後にJR西日本はキハ65の高出力に注目、車体を大改造してキハ65だけの編成を組んで走らせたが、その列車は臨時列車の一部を除けば特急で、キハ65は特急形「エーデル」シリーズとしても存在するということになった。

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12系客車は元々は万博の波動輸送用に製造されたものだが、車体長さを気動車並みの21メートルとして1メートル延長、延長したその部分の定員増加はさせず、座席を少しゆったりさせて登場した。 写真は大蔵谷付近を行くDD51と12系の試運転列車。

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その12系を後ろから。 車体デザインは153系から始まる急行型電車に範をとりながらも、全体的にゆったりとした雰囲気の客車だ。

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12系客車、今現在残るJR西日本所属車の車内。 ゆったりとしたボックスシートは急行型車両の完成形と言ってもいい。

人間工学を取り入れた掛け心地のよい座席、見た目にはそれまでの固定クロスと大きな変化はないが、座るとその良さに気付く人は多い。 特急用14系の座席があまり好評でなかったのに、こちら12系の座席は好評だった。各車に便所、洗面所、出入り台の仕切りつき、幅広のオールクロスシート、広い客用窓、窓下テーブル、栓抜き、窓側肘掛・・これがスハ43から続く急行車両必須のアイテムだ。

12系客車とその亜流ともいえるキハ65は急行型車両の一つの到達点であるが、残念なのは電車でこれらに匹敵する系列が製造されなかったことだ。

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その座席空間。  テーブルに栓抜きも健在だが、灰皿は撤去された。

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北陸地区で最後の活躍をする475系電車、雪の魚津駅で。

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 475系電車の今現在の車内。 これはM'車の車内で、天井には集中クーラーの風洞が続く。

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こちらはTcの車内で、前面が見渡せる仕切り板が健在。 出入り口付近はロングシート化されている。

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急行型車両のサービスの根本をなすものの一つ、洗面所。かつては冷水器もあった。

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 国鉄はその末期に将来の列車の設備の理想を指していたが、それは通勤型→ロングシート、近郊型→転換クロスもしくはゆったりとしたロングシート、急行型→リクライニングシート・・だが急行型の国鉄理想形は登場できなかった。 写真は急行型と近郊型、特急形の三車種折衷ともいえるキハ66車内。

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その座席。 窓側にテーブルも肘掛もない。 急行型とはいえない部分がここにもある。

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こちらは117系車内。 座席は良くなったが、出入り台仕切りは存在しないし、トイレは編成に一か所、洗面所はなくなっていて、この辺りが急行型とはサービスの根本が違う部分だろう。 なお、座席は急行型を凌駕していて、窓側にも肘掛がつく。

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JR東海キハ75の車内、急行としても一時期運用され、今も実質的に急行的な存在である快速「みえ」に運用される。非常に優秀な車内で雰囲気はかつての急行形を凌駕する。出入り代仕切りはないが、ドア横の風防が急行型に最も近い車両であることを思わせる。

185こちらは今現在のJR東日本185系車内。 登場時は転換式クロス、今はリクライニングシート、国鉄が描いた将来の急行型車両像に近いが、当時の営業のごり押しで急行ではなく特急として登場したという噂がある。

私鉄には国鉄でいうところの特急形は各社有料特急用のロマンスカーなどとして存在する。 通勤型はもちろんだが、国鉄でいうところの近郊型も、数は少ないながら存在する。 しかし、純粋な急行型と言うと私鉄にはまったく存在しない。 (ただし、かつて私鉄に存在しながら国鉄に存在がなかった都市間連絡用ロマンスカーは、今ではJR東海、西日本の標準近郊型となっている)

一時期、富士急行、南海、島原には急行型・準急形が存在したが、これは国鉄への乗り入れのための国鉄車両のコピーであり、急行型となると東武の6000・6050系や西武の4000系、伊豆急100・1000系などが近いようにも見えるがそれは形態だけのこと。 かたくななまでに急行利用客の利便性・快適性を重視した国鉄急行型に匹敵する私鉄オリジナル車両は一両も存在しないのだ。

その国鉄急行型、最後の定期運用が間もなく終了する・・ トワイライトの引退もショックだが、僕には急行型車両の引退と言う国鉄車両史に特筆されるであろう今春のダイヤ改正が恨めしい。

北陸本線475系、その風情をもう少し・・

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黒部にて・・列車の向かう先は雪だ。

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 富山駅にて、通勤列車に供される475系の夜景。 ブルーに塗られているが大きな窓から漏れる明かり、車内に見えるクロスシートに、かつての夜行座席急行を思い起こす。

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夜の富山駅で発車を待つ北陸色の列車。

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富山駅出発信号機を望む。 もう、この春までで、急行型電車の雄姿は見られなくなることを思うと、嫌でも感慨深くなる。

2014年12月30日 (火)

宝殿駅西、法華山谷川付近。

僕がカメラを持って列車を撮影するようになったのは、加古川市に在住していた中学生時代で、特に自宅にほど近い宝殿駅周辺ではよく撮影した。

何度かこのあたりで国鉄はこのブログでエントリーしている。 「宝殿駅周辺の電気機関車たち」「宝殿駅周辺の列車たち」「宝殿駅、留置車両と列車たち」 以上もご参考くださればと思う。

今回は宝殿と曽根のちょうど中間あたり、今、姫路バイパスと国道2号が交差するあたりの写真だ。 法華山谷川という小川が流れている。 撮影時期は昭和51年頃から55年頃まで。

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113系電車のアップ、初期型、大目玉・非ユニット窓電車だ。

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 新快速153系電車、なぜか当時は低運転台の初期型が好きで、これが来るとシャッターを切っていた。 クハ153-3と番号も読める。

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下りの新快速、今では想像もできないのどかな平野が広がっていた。

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上りの新快速、ヘッドライトが点灯されている・・撮影している僕への注意喚起か、それとも軽い挨拶か・・線路からは相当離れており、いわゆるパッシングではないように思う。

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上り新快速の後追い、編成の床面がそろわない・・これは、台車が相当痛んでいることによるもの・・ 一部には床面の垂れ下がった車両まであった。初期軽量車の宿命か。堅田行きの行き先も懐かしい。

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法華山谷川を渡るEF606牽引貨物列車。

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二兎を追うもの一兎を得ず・・双方向から貨物列車が来て結局どちらもまともに撮影できていない。 EF612のナンバーが流れ、反対方向には黒い二軸貨車が連なる・・ 撮影には失敗したが今、こうしてみるとなかなか当時の様子を物語っていると思う。

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EF5880、すでに暗くなり始めた時刻か・・シャッター速度が上がらず、やむを得ず流したものだろうか。

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その後追い、それほど速度は高くなかったようだ。

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上りコンテナ列車、EF6615のアップ。

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上りEF6630牽引のコンテナ貨物・・

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EF58167牽引の荷物列車。 次位はワキ8000か、スニ40か・・

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後追い、マニ・スニ・スユ・ワキ・・荷物列車の編成はバラエティ豊かだった。

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EF60115牽引のコンテナ貨物。

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EH1036・・マンモス電機がなぜか、ワフとヨを繋いで走る。

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その後ろ姿、なんとも楽しい列車だ。

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キハ58の急行、山陽本線の特急・急行が消えてからは僅かに播但・姫新線の優等列車が宝殿あたりでの花形だった。

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12系の臨時急行、「屋久島」のサボが見える。 長駆、鹿児島からの列車だ。

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宝殿駅の様子。 既出だが当時の駅舎。

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通過する153系新快速。

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工事中の駅構内、宝殿駅は今のJR神戸線西明石・姫路間で最初に近代化された駅だ。

読者の皆様、本年1年、本当にありがとうございました。

どうか、新しい年が皆さまにとっても鉄道にとっても佳き一年でありますように!!

2014年12月 4日 (木)

昭和59年9月、三重の国鉄。

近鉄の三重での様子を見ていただいたからと言うわけではないが、今回は三重の国鉄を見ていただこうと思う。 時期的には急行「志摩」が走り、草津線、桜井線が電化なった時期、写真の記録状態から昭和59年9月ごろではないかと思う。

さて、近鉄伊賀線を見た後、伊賀上野・柘植・草津と回り、京都で京阪電車の夜遅い特急に乗り、天王寺から12系客車の「はやたま」から変更された通称「新宮夜行」に乗り、新宮から紀勢本線特急「南紀」で多気へ、参宮線で鳥羽へ・・ここから近鉄を見てという大周りの旅行だった。 今回、夜行や特急南紀の部分の写真が出てこず、その前後のものばかりであること、ご容赦いただきたい。

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国鉄で桜井へ行き、そこから近鉄で伊賀線へ向かったのだろうか・・ 同じネガに写っている桜井線の桜井駅。

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伊賀上野駅。 今も変わらぬ駅舎だ。

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柘植駅。 こちらも今現在も雰囲気は変わらない。

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柘植駅の構内。 キハ58と、留置線にラッシュ用50系客車が停車する。 今は夜間に117系電車が同じところに停車知るのではないだろうか。 キハ58は急行「志摩」だ。

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 急行「志摩」が京都へ向け草津線に進入する。 この列車は最後までキロを挟む長い編成だった。

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急行「志摩」の後追い。 この年のダイヤ改正で消滅することになる。

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奈良行きの列車が入線する。 キハ35が3両にキハ58が1両、この場合、キハ58は加太越えのための2エンジンとして連結されている。

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翌日の多気駅にて。 乗車してきた特急を撮影。 キハ82だが、JR東海移行後もしばらく残り、キハ80系列最後の定期特急ともなった列車だ。

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当時のダイヤはゆったりしていた。 その特急を跨線橋から俯瞰。

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そこに下り「志摩1号」が到着する。

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志摩1号発車時の様子。列車には「しま」とひらがなのサボが差し込まれている。

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名松線。 ここに来るまでには近鉄で鳥羽を経由していた。 伊勢奥津に着いた列車、キハ58とキハ30という珍妙な編成。

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その列車をやや斜めから。 駅の雰囲気と言い、列車編成と言い、まるでHOゲージの世界のようだ。もちろん、キハ58の冷房は使用できない。

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名松線は名張と松阪を結ぶのが当初の計画だったが、その名残の路線バスもあった。

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線路の先、鉄道員の詰所の先、あの山を鉄道は超えることができなかった。

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 伊勢奥津の駅舎。 いかにも中間の駅という感じだ。

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構内を遠望。 キハ30と給水塔。

この路線は現在、台風災害により長期運休状態にあるが、来年度内に鉄道として復旧することになりそうだ。

なお、国鉄時代にも災害により長期運休、その際に廃止が論じられたこともある。

2014年11月10日 (月)

トンネルと鉄橋・・福知山線武田尾旧線

福知山線武田尾付近の旧線についてはこれまでも何度もこのブログでエントリーしているが今回はやや濃いというか、今思えば、なぜにわざわざこのような場所で大量のフィルムを消費したのかと思えるような場所。 トンネルとトンネル、その間に鉄橋があるという・・ 童謡「汽車ポッポ」では・・ 鉄橋だ鉄橋だ楽しいな

とか、 トンネルだトンネルだうれしいな

とか・・ 子ども心には、トンネルや鉄橋は楽しくうれしいものであるらしい・・ で、今回の写真は昭和54年から57年頃のもの・・僕は成人式の前後で子供ではないが・・ま・・今もそうだけれど心の中は汽車好きの子供だったわけだ。

場所は武田尾駅から西へ、武田尾温泉旅館街のその先の草山トンネルと大茂山トンネルで、多分足場の問題からか・・僕はいつも大茂山トンネル側から撮影していた。 撮影しても当時の最低でも機関車牽引4両の旧型客車列車では列車の全景が入ることはなく・・ それでも何かが面白くて通い続けたのは確かだ。

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山間のトンネルからDD51が鼻先を出す。

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轟音とともに機関車が目の前を通過する。

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3両目までの客車、大阪行きのサボがかろうじて読み取れる。

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 やや俯瞰気味の位置・・つまりはトンネルの上から。 DD51と次位の客車の屋根が見える。

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2両目と3両目の屋根も見える 2両目はスハ43、もしくはオハ47か。 3両目の屋根は鋼板で、オハ46だろうか。

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 最後尾はオハフ33。

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 列車はあっという間にトンネルへ吸い込まれていく・・レールジョンとの軽やかな響きの余韻が残る。

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キハ28系の下り急行列車がトンネルから飛び出す。

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接近する、先頭車は非冷房車だ。

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紫煙と轟音をあげて気動車急行が通過していく。 中間にも非冷房車が入っていた。

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静寂な緑濃い山間、ぽっかり空いたトンネルにヘッドライトの光彩。

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キハ82が顔を出す。 当時わずか2往復の特急「まつかぜ」だ。

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短い鉄橋を渡るのは一瞬のこと、目の前を先頭車が通過していく。

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特急気動車の流麗な車体が緑の中に一瞬の都会を持ち込むかのよう。

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特急の長い編成。

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これは別の日。 同じ特急「まつかぜ3号」だ。 トンネルからふわっと浮かび上がるかのよう。

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特急気動車のサイド・・この日は珍しく線路すぐそばで撮影していた。

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大茂山トンネルに消えていく特急列車。

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トンネルの暗闇に巨大な目のような光が・・

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DD511181がトンネルから顔を出す。

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DD511181接近。

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DD511181眼下を通過。 猛烈な轟音、濃い紫煙、どこか懐かしいディーゼルの排気が谷あいに広がる。

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一昔前の急行列車のような美しいスハフ42が次位だ。

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3両目は当時、数を減らしつつあった軽量客車ナハ10、4両目はオハ35の戦前型。

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 5両目はスハフ42で、この後ろ2両は付属編成のようだ。 オハ35、オハフ33が続く。

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キハ28の上り急行。 「丹波」だ。

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急行の2両目。

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急行の4両目。

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最後尾。 この写真は上記のキハ28急行より数年はあとだ。 急行気動車の冷房化が完了している。

2_2急行列車が去っていく。

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下り普通列車。 DD511190牽引の列車が顔を出す。

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DD511190が接近する。

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 眼下を機関車が通過。 猛烈な轟音、懐かしいような排気が一瞬広がる。

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客車たち・・スハ43系一党にさりげなく混ざるオハ35。 客車たちは静かに淡々とレールジョイントを響かせ、鉄橋をこだまさせながら通過していく。

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43一党の後ろにはナハフ11の姿が・・

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ナハフ11とマニ36、スユニ50だろうか。

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 たたずむトンネルと鉄橋。 列車の来ない長い時間は山間の静粛があたりを支配する。 川のせせらぎ、鳥の声・・

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 大茂山トンネル銘板。

今のJR宝塚線となったこの区間からは想像もできない、列車と山と谷と河と鳥とそして湯治客の楽園だった武田尾・・全ては過去の夢の中へ。

2014年10月24日 (金)

昭和59年、紀勢本線岩代への旅

以前に少しだけ出したことのある岩代駅だけれど、今回はその時の旅の模様をアップしたい。

昭和53年、紀勢本線の西側が電化開業となり、急行を除く列車が電化された。 今回の写真は僕がこよなく愛するシンガーソングライター、谷山浩子女史の「夢半球」というアルバムが発売された後のことで、このアルバムが昭和54年11月5日の発売、画面に写るEF58牽引客車列車の電車化が昭和61年ということだからこの間の撮影となる。

このとき、仲間と南紀白浜の国鉄保養施設へ出かけたものと記憶している。

さて、谷山女史の「テングサの歌」これは、どちらかというとコミカルな曲調のしかし内容が怖いSFで、人類が滅亡した後の岩代駅でテングサが気持ちよくホームのベンチに居座っている様子をうたったもの・・

彼女の述懐によると、一人旅の途中、岩代の民宿に宿泊したとのこと。その翌朝、駅のベンチにテングサがあって、駅長さんが回収していた様子を鼻歌で歌ってみたとか・・に

僕はキハ28の急行「きのくに」で紀伊田辺まで行き、ここで折り返す形をとった。

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 そのキハ28の急行「きのくに」。 グリーン車、キロ28が更新された姿で、この形態は昭和55年以後のもの。

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紀伊田辺に入るEF58170牽引、新宮行き普通列車。 昨今のワンマン電車を見慣れている目からは同じ紀勢本線の普通列車とは思えない貫禄がある。

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僕が乗ったのはこの列車。 EF5842牽引、12系客車の普通列車、和歌山行きだ。

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その12系客車の中からEF58を見た様子。 当時、12系の普通列車はここだけだったのではなかろうか。

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岩代駅に着いた普通列車。 EF58を跨線橋から俯瞰。

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12系の様子・・前寄り。

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12系の様子・・編成後ろ寄り。

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 客車列車の最後部。 マニ50が繋がっている。

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少し歩いてみたけれど、あまりよい撮影ポイントには出食わさなかった。 電車化されたばかりの381系「くろしお」

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 その後追い・・

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 駅近くに保線用の側線があった。 その脇を特急「くろしお」が駆け抜ける。

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 やってきた113系の普通電車、いわゆるレッドライナー塗装で、この電車でその夜の宿泊地、白浜へ向かった。

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2011年にここを再訪できた。

その時の様子・・ワンマン改造された113系電車が停車する。

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岩代の駅舎・・当時とほとんど変わりないが無人化され、「駅長さん」がいなくなって久しい・

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 海岸とテングサ・・ テングサが駅のベンチで寝るはずもないけれど、静かな午後、静かな海岸だった。

 

テングサの歌(抄) 谷山浩子作詞作曲、昭和54年11月5日アルバム「夢半球」収録

 

紀勢本線各駅停車、南部の次の岩代駅の

ひと気のないホームの古いベンチの上にあたしはいるの

(略)

汽車の時間に汽車が来ないの

海は見えるが船は通らず

道は見えるがクルマは通らず

(略)

しゅるしゅるそよ風いい気持ち

駅長さんの帽子がほら 転がっているわ

そりゃあたしにとっては どうでもいいことだけど

人間のいない地球ってもぎたてトマトみたい

紀勢本線各駅停車南部の次の岩代駅の

ひと気のないホームの古いベンチの上であたしはふわふわ

(筆者の記憶違いにより本記事の下になる旅行を当初、昭和55年としていましたが、ご指摘いただき、再度確認したところ、昭和59年春先の撮影と判明しました。ここにお詫びして訂正させて頂きます。ご指摘、本当にありがとうございました。)