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国鉄の思い出 Feed

2016年7月22日 (金)

35∼40年前の宝殿駅付近

はじめに:
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前回に引き続き、今度は加古川の一つ西にある山陽本線宝殿駅だ。
宝殿についても過去に何度も取り上げている。
宝殿駅」「宝殿駅西、法華山谷川付近」「宝殿駅、留置車両と列車たち
宝殿駅周辺の列車たち」「宝殿駅周辺での電気機関車たち

なお、架線の支持がワイヤー式になっている写真がある。この辺りの電化工事で試験採用された架線支持方法らしいが、のちに通常の形に改められている。

まずは当時憧れの電気機関車、EF66の雄姿から。

Ef669

留置中のワムの横を通過するEF66 9、この頃、この辺りには特に注意書きの札もなく、自由に地元の人も立ち入っていた。

今とは鉄道や住民の意識が大きく異なっていること、ご理解いただきたい。

なお、留置線の外から望遠での撮影、一部の構内での撮影は、仕事で留置車両に用があり、その時に撮影したものもある。

Ef6615


曽根駅との間の法華山谷川を通過するEF66 15。

Ef6623


宝殿駅構内、通過するEF66 23。

Ef6626


宝殿駅、東側にある歩行者用の踏切をいく、EF66 26。
この踏切は今も存在する。

Ef66901


ロクロク試作機、EF66 901、今回、このテーマでネガを探していて見つけたカット、自分でも撮っているとは思わなかった。

Ef5848


ここからEF58、特急列車としてブルートレインを牽引する雄姿もよかったが、荷物を牽く姿も渋くて格好良く思えたものだ。
EF58 48。

Ef5880


EF58 80、今、走っていれば大騒ぎになるだろう機関車だが、当時はしょっちゅう見ることができたものだ。
法華山谷川付近で。

Ef58155


EF58 155、構内を行く。

Ef58


早朝、特急列車が上っていく。当時の僕のカメラ、フィルムのレベルでは夜明け前といえばこの程度の写真しか撮れなかったか・・

Ef6042


EF60・・
駅東側の歩行者用踏切から。
EF60 42がヨ1両を引き連れ、上っていく。

Ef6042_2


その後ろ姿、なんとも寂しい写真になった。

Ef60104


EF60 104サイド。

Ef651001


こちら高速貨物を牽引するEF65 1001、この機関車も、自分が撮影していることを忘れていて、今回、ネガを見つけ非常に驚いた。

153


電車・気動車たち・・

153系新快速。

1132000


113系2000番台、従来の113系に比してすっきりした外観デザインが美しかった。

117

117系、ワムの横を通過。

117_2


下り新快速117系後追い。

82


キハ82「はまかぜ」サイド。

58


キハ28・58系の急行列車。

117_3


留置中のマニの横を通過する新快速。

81


高砂工場で改造した81系お座敷客車。

宝殿駅に停車中。

124


高砂工場への配給列車、オハネフ12 4がゆっくりと進む。

342005


その前方にはマヤ34 2004が。

Photo


最後に・・

通過していく荷物列車。
比較的変化の少ない宝殿あたりと思われがちだが、どの写真も撮影はおろか、もはや見ることもできない風景や列車でもある。

2016年6月30日 (木)

35∼40年前の加古川付近。

今回と次回で加古川・宝殿あたりの写真を見ていただこうと思う。

山陽本線のこの付近は僕にとって鉄道趣味を始めた原点ともいえる場所であり、これまでにも何度か本ブログには出している。
今回も、既出の写真もあるが、データはすべて再スキャンし改めて画像処理による復元作業を行った。

今回は加古川駅前後のあたりの写真だ。

過去ログは以下の通り。

加古川市野口町、山陽本線昭和58年・春「サロンカーなにわ」ほか
今、あらためて加古川駅
加古川駅

加古川駅から東へ約1キロ、当時そのあたりは田んぼが広がっていて、列車の撮影には好適な場所だった。

Ef65132

ずらりと並んだワム80000を牽引するEF65132・・

今のEF210と同じように、当時のロクゴはそれこそ、いくらでもやってくる撮影意欲のあまり湧かない機関車だった。

Photo_2

ワムの並んだ様子・・

フイルム代、現像代に悩んでいた僕がこういう写真を撮影するのは珍しい。

Ef66

EF66のサイド。

この機関車は正面から見るよりこういう角度のほうが男っぽく見える。

113

113系快速電車の連結部分。
よく見ると前後でタイプが異なる。

原型タイプとユニット窓・シールドビームが特徴の300台か。

111

その電車の最後尾。

夏場だと思うが、車掌氏は上着を着用している、初夏のころだろうか。

28

キハ28・58系の急行列車。

ドア横には「指定席」の札が・・

道理でこの車両が外から見ても空いているように見えるわけだ。

117

117系新快速。

この日、なぜかここでは列車の頭の流し撮りばかりしていたようだ。

Photo_3

加古川駅構内、これまでも何度もブログに出しているが、今回、北口を撮影したネガが見つかった。

キハユニ15、3号車が一緒に写る。

Photo_4

キハユニ15 3の様子。

当時、加古川気動車には3・6・9の3両のキハユニ15がいて、この3は正面窓の補修が独特の雰囲気、そしてサイドの客車窓とともに、異色の存在だった。

Ef65eh10

加古川橋梁。

加古川橋梁もこれまでに何度も出している。

まずはEF65牽引のコンテナ列車と、EH10の出会い。

Eh10

非常にゆっくり走っていたEH10の後ろには巨大な貨車が巨大な物体を載せている。

僕がこれまでに見た大物車シキの中でもこれだけ大きなものは、この時だけではないだろうか。(操重車、ソのようです。ご指摘ありがとうございました)

Eh10_2

こちらはEH10初期型。

パンタグラフが中央寄りになっているのが特徴。

Ef58

EF58が荷物列車をけん引していく。

次位にあるのはスニ44か。。

83

クモニ83が単行で走っていく。

多分、ツリカケの音を心地よく撒きなが走っていったのだろう・・すべては記憶の中だ。

2016年4月24日 (日)

南阿蘇鉄道を訪ねた日

この度の熊本・大分両県にわたる地震災害において、亡くなられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されたすべての皆様が一日も早く普段の生活に戻られますよう、深くご祈念申し上げます。
また、南阿蘇鉄道はじめ被災地の鉄道路線が一日も早く旧に復することができますようお祈り申し上げます。

昭和61年8月、すでに僕は国鉄は休職として、写真屋でアルバイトをしながら基礎を教えてもらっていて、なかなかまとまった休日を取るのは難しかったが、友人たちと九州への旅行に出た。
その時、広島→筑豊→長崎→島原と旅をして、熊本から大分に向かう途中に立ち寄ったのが「南阿蘇鉄道」だ。

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熊本を朝立って、立野へ向かう・・朝の急行に乗ったのか・・記憶が飛んでいて判然としないが熊本9:29「火の山1号」で向かったものと推察される。立野駅でのその急行列車。
立野での接続は非常によく、すぐに高森行きの軽快気動車に乗ったように思う。

Photo


そのまま高森まで行った・・記憶はないのだが、今回、ポジを探し出してみるとしっかり高森駅が写っている。

Photo_2


高森駅構内と思しき場所に停車しているMT2000形。2連で停車している。

2b


構内の2連を駅外からだろうか。

2


その反対側。

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トロッコ列車編成、当時、いまだ雑誌等に記事がなく、ただ、交通新聞あたりで情報を仕入れてここに来たように思う。
で・・国鉄の構内入換機が、堂々と旅客列車編成に使われているのに非常に驚いた。

Photo_4


この日、次の「阿蘇白川」駅まで歩いたように記憶している。
距離としては4キロ弱、歩けない距離ではないのだが・・その「阿蘇白川」駅。

Photo_5


ここでは喫茶店が営業中で、ピラフをいただいたように思う。
喫茶店の女性はとても素敵な方だった印象が残っている。
阿蘇白川駅のホーム側。

Photo_6


さて、多分、ここに行きつく前に撮影したのだろう。

トロッコ列車がやってきた。さきほどのDBに挟まれた編成だ。

さほど暑かった印象がない・・写真で見る限り、阿蘇高原の空気は涼しげだ。

B


トロッコ列車がゆく。

時速20キロほどだろうか・・恐ろしくゆっくりした列車だ。

C


今のように高倍率ズームなどない時代、短焦点レンズを付け替えても十分撮影できる速度だ。夏空の下、なんだか超越した感のある列車が遠くなっていく。

C_3


しばらくして、下り(つまりは登り)のトロッコ列車がやってきた。

今度は気動車を一番後ろにつないでいる。

D


この列車も気動車が後押ししているとはいえ、低速だ。

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列車が視界から樹々の向こうに・・

このあと、阿蘇白川から列車に乗り高森へ・・
高森駅での写真はその時に撮影したのかもしれない。

Photo_8


超越した時間を過ごした僕らは、やがて立野に帰ってきた。大分行きの急行列車までは時間がたっぷりあって、立野駅周辺でぼうっとしていた。
立野駅舎。

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立野駅に停車する南阿蘇鉄道の軽快気動車。

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国鉄の普通列車。

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阿蘇の外輪山を背景に、おとぎの国のような列車が目の前をゆっくり進んでいったあの風景はあれからちょうど30年がたった今でも忘れることができない。

どうかどうか、阿蘇の地の人々よ、災害なんかに負けず、踏ん張ってほしい。
そして愛すべき小さな鉄道もどうか旧に復することを!!

2016年4月13日 (水)

奇跡の急行型電車も!七尾線近郊型電車。

北陸新幹線開業後、一般的には「国鉄急行型電車」は絶滅したと思われていた。

しかし、何の運命のいたずらか、413系近郊型電車の七尾線投入に伴い、この系列と同じ扱いを受けてきた急行型457系のクハ455が2両、413系とともに七尾線に転属、絶滅したはずの急行型が奇跡的に生き残るという事態になっている。
今回はそのクハ455と、今現在の同僚ともいえる413系、そして一部が413系により置き換えられたといってもまだまだ健在の415系800番台の現状と過去を見てみたいと思う。

まず、七尾線といえば交流電化の北陸本線に接続しながら、直流で電化された路線であり、それゆえ、交直両用電車が必要になったわけだが、当時、全国からかき集めて運行された急行「きのくに」格上げによる増発特急「くろしお」へ転用→「くろしお」381系統一、福知山線電化用に再転用→特急「北近畿」運用となった485系の交流機器類を撤去、183系化したその機器を再利用、福知山線に走っていた初期113系を中心としたグループに交流機器を搭載、七尾線用415系と相成った次第。

415800


写真が2010年の七尾線415系800番台。

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この系列・番台区分の大半の車両が福知山線電化当初に各地からかき集めた113系初期型で、800番台を名乗っていた。

写真が福知山線登場当時の様子。

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この初期カラーリングは悪くはなかったと思うがすぐに変更されてしまった。

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つい先日訪問した、桜の咲く横山駅での415系800番台。

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車内、座席配置は113系とは大きく変わった。

0406415800


座席の様子。
シートピッチが大幅に拡大され、座席もよくなった。

しかし、これでは座席定員の減少が著しく、JR西日本ではこれ以降の近郊型リニューアルでは転換クロスが導入された。
転換クロスだと扉間に5列が確保され、七尾線の様式よりは座席定員の増加が図れる。

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こちらも桜咲く宝達駅での様子。

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夕刻の中津幡駅での415系800番台。
通勤時間帯には3連を二組6連でも走り、旺盛な需要にこたえる。

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さて、富山にいた413系は5編成が「あいの風とやま鉄道」に移管、残り6編成が七尾線へ転属してきた。
写真が「あいの風とやま鉄道」富山駅高架ホームに入線した413系。

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413系は国鉄がその末期にせめて車体だけでも新しい時代の近郊電車にしたいと、従来の急行型電車の古い車両を車体乗せ換えで登場させた車両だ。
国鉄時代の6連で走る様子。

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倶利伽羅に停車中の様子。

しかし、国鉄、その後のJR西日本の財政事情から、せっかくの更新系列も11編成を作ったところで終わってしまい、それは今までのこの系列のすべてになってしまった。

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七尾線では順次茜色と言われる地域一色塗装への変更が進んでいて、この色合い、この系列の電車にはとてもよく似合うように思うのだ。
桜咲く横山駅、跨線橋から413系を俯瞰・・屋根上のAU13クーラーがこの電車が元々は急行型であることを示している。

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横山駅で上下列車が並ぶ様子。

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北陸地域色、青色の編成もまだ一本、残っていた。

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413系電車の車内。

気動車のキハ47に似ているが、電車は気動車より車体長が1メートル短いので、ドア間のボックスシートは一組少なくなっている。
ドア横の風防がこの電車が寒冷地を走ることを示している。

クロスシートは471系などの座席をひじ掛けを撤去するなど改造したもの、ロングシートはこの電車登場直前の廃車発生品だが座席枠を近郊型の寸法にして取り付けている。

11編成すべてが松任工場による自作で、短期間によくもこれだけの品質のものを大量製造したものと、当時、国鉄工場にいた僕は思ったものだ。

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さて、こちら先だっての旅で訪れた七尾駅での413系の様子。この編成は2編成だけクハ455をTcに連結している編成だ。
クモハ413-4。

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そのクハ455-701、ホーム側から。
完全に過去のものになったはずの国鉄急行型電車がどっこい、しぶとく生きてくれたわけだ。

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編成全景。
急行型クハにあるはずの前位側戸袋窓がないし、写真反対側の運転台から数えて最初の窓は固定化されている。
これは、この電車がサハ455からの改造車だからだ。

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前頭部をサイドから。

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413系中間車、モハ412-4との連結部。

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車体中央部、車番とその付近。

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車内の様子。

急行型の特徴である出入り大仕切りは撤去され、ロングシートが延長、クロスシートの数が413系に揃えられている。

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クロスシート部分。
数が減らされても、やはりこの雰囲気は急行型独特のものだ。
荷棚や天井のAU13吹き出し口も国鉄急行型ゆえ。

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その座席、窓側のひじ掛けが急行型であったことを象徴する。
薄茶色の壁面は昭和40年代前半までの国鉄優等車両の証だ。
特急・新幹線もこの壁面だった。なお、座席間のテーブルは撤去されている。灰皿のビス跡が見当たらないから、禁煙化後に化粧板の張替が行われたのだろうが、化粧板の色合いを替えなかった工場の担当者に拍手。

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洗面所が残っていた。

普通列車用の車両としては全国唯一ではないだろうか。

つまり、特急や団体、波動用途以外の車両でこれがあるのはクハ455の残存2両のみということになる。

古き良き列車旅の余韻を今に残す車両でもあるわけだ。

昨年までの北陸線急行型電車は近郊型に適応した改造をいろいろな形で受けていた。

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これは出入り台仕切り撤去、半自動ドアに改造された更新車の車内。
車内化粧板も交換されている。

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こちらは車端部ロングシート化だけが施工された車内。
その部分以外は、ほとんど原形のままだ。

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クハ455を連結した編成が中津幡駅に入るところ。

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実はこのクハ455をつないだ413系編成を僕はこれまでもたびたび目撃している。そのころは急行型475・457系を追うのに必死で、413系の仲間になったクハ455には興味がわかなかったというのが正直なところ。
それでも撮影した写真から・・昨年冬の魚津駅。

2011455700


こちらは2011年の大聖寺駅にて。
今にして思えば、この時、もう少し編成状況が分かるように撮影していれば・・

このときはまさか、この車両が国鉄急行型最後の一般運用の2両になるとは思わなかった。

2011455412


それでも、編成のクハ455とモハ412の連結部は撮影していた。

ここで、少しだけ、かつての急行型の北陸路での在りし日の姿を・・

Photo


大阪駅に停車中の急行「ゆのくに」。

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武生を発車する急行「立山」

475


急行列車の運用間合いによる普通列車、倶利伽羅峠にて。

413_3


倶利伽羅に停車中の普通列車、「タウントレイン」の看板を付けている。

475_2


倶利伽羅峠にて下り普通列車。

475_3


たぶん、その列車の後追い。

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奇跡的に、わずかに2両が生き残った国鉄急行型の末裔・・

どうか、一日でも長く生きてくれよと・・祈りながら、僕はこの電車に再会を期すのだ。

2016年2月 9日 (火)

電化直前の布原付近

今回は昭和57年6月の電化直前、伯備線布原信号所付近でのネガから・・撮影はこの年の春ごろと思われる。

なお、すべてモノクロ写真だ。

1813

布原近くの西川橋梁を下り特急「やくも」が行く。

1812

その列車の食堂車、キサシ181、所要3時間少々の列車ながら食堂車も営業していた。

2051

キハ20を先頭にした伯備線列車、キハ20・55・25・47・最後尾はキユニ26だ。

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そのキユニ26がトンネルに吸い込まれていく。

1811

今度は上り特急「やくも」、当時唯一の気動車による「L特急」だった。

1812_2

列車が接近する・・速度はゆっくりと表現できる程度だ。

1814

この列車にもキサシが・・伯備線特急は全列車、キサシ、キロ組み込みだった。

備中神代駅に近い俯瞰ポイントから・・

47備中神代駅にほど近い俯瞰ポイントから・・

キハ47の2連、芸備線列車だ。

当時、すでに電化が近い伯備線列車の改善は電車で行うこととし、新車のキハ47は芸備線列車への投入か。

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キハ47の2連が布原信号所に停車する。

昔も今もここに停車するのは芸備線列車のみだ。

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急行「伯耆」、キハ28系だが、もちろん、キロも連結している。

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同じ急行「伯耆」だが、先頭車の正面窓がパノラマミックウィンドウ、キハ28系列最終増備車だ。

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列車が接近する。

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伯備線普通列車、キユニ26・キハ47×2・キハ55・・

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こちらはキユニ26・キハ55・58・26・47・40だろうか・・気動車らしい楽しい編成だ。

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下り特急が行く。

屋根上のラジエーターがないのが先頭車と食堂車だ。

1812_3

列車が去っていく。

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上り特急がやってきた。

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接近する・・編成が長く、画面に入りきらない。

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西川を渡る。

この直後、僕はクルマで電化後のこの地へ行くのだけれど、それはまた後日・・

2015年11月15日 (日)

Photo Archive 想い遥かな餘部駅・余部鉄橋。

冬が近くなると山陰への思いが募る。

それも、鉄橋時代の餘部、余部橋梁へ・・今回は未公開写真も多く出しながら、改めて余部橋梁への想いをつづってみたい。

初めて餘部に行ったのは昭和54年頃か・・国鉄寮の仲間と向かったのだが、当時は姫路始発の急行「但馬」があったように思う。

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DD51牽引の普通列車を見上げる。

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特急列車、キハ80系6連。

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雨の日、客車を牽いてDD51が接近する。

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その列車の後部・・リアス式海岸をバックに、旧型客車の風情。

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冬の遠望・・堂々たる普通客車列車。

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こちらは特急列車。

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その列車の後部。

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橋を行く列車を見上げる・・特急列車だ。

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普通客車列車。

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駅に進入するDD51牽引、12系による普通列車。機関車はDD511122だ。

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雪の中をゆくキハ28・58系列による急行列車。

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キハ181系、特急「はまかぜ」が接近する。

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雪の風情・・

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残り柿。

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橋梁の補強梁・・

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下から橋梁を見る・・

保守の面倒な大型橋梁は国鉄にとって小さくない負担だったのだろう。

 

181_3

青空の日・・空中を行くキハ181特急、そのキロと中間に入った先頭車の連結部分。この色合いはポジ原板による。

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キハ181先頭・・

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後部の乗務員ドアが開放されていた。

車掌には暑い部屋だ。

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旧型客車4連の普通が東へ向かう。

Dd51_3

DD51の次位にマニ50。

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ローカル改造された12系客車が行く。

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青い海を背景にキハ28・58急行列車、7連。

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堂々たる旧型客車による普通列車が姿を消した・・キハ47系による普通気動車列車。

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キハ28の列車がやってくる。

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たった3連、急行列車間合いの普通だろうか。

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トンネルから出てきたのは急行気動車を改造した特急、「エーデル北近畿」

B

列車が進む・・

4

貫禄というものは感じないが、観光用にふさわしい特急列車だった。

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餘部駅の隣、久谷付近での撮影・・

特急列車の遠望。

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列車が進む・・まだこの頃には特急らしい貫禄があった。

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その列車の後尾。

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3年前に訪れた際の写真、特急「はまかぜ」は新型キハ189になったが、編成はさらに短く、たった3連となった・・
ただ、乗客の多い日には6連でも運転される。

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記憶の彼方の風景・・小学生が遊んでいたが、特急通過後に僕のカメラのファインダ―画面に入ってきてしまう。今思えば非常にいい記録になった。

 

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通学の高校生・・餘部駅の、如何にもローカル駅と言った風情は、初めて訪れた僕らを強く引き付けた。

 

だが、地域住民が愛し、手入れをしてきた駅、地域が誇りとしてきたあの鉄橋で国鉄は最末期に大事故を起こした。

「みやび」転落事故である。

僕も愛した鉄橋、愛した駅で、僕が愛する国鉄が、僕も参加して作り上げた「みやび」を転落させ、大勢の地元の方々を死に至らしめ、町を破壊した。愛する風景だけではない重みが、餘部駅に、余部橋梁にはある。

愛すると一言で言えない重み、鉄道を愛していたはずの方々を押しつぶし、誉れを持って新型客車に乗務していた食堂従業員を道連れにしたあの大事故は今も常に僕の心にある。

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それでも、餘部は、僕にとっては愛すべき場所であることに違いはないのだ。

(本文中、「あまるべえき」は餘部駅、「あまるべきょうりょう」は余部橋梁と表記しております)

2015年10月30日 (金)

Photo Archive・国鉄特急色を思う

今、これを書いているのは10月30日の夜で、今日は国鉄・JRの歴史にとっては忘れられない日になりそうだ。パソコンに向かいながら手元には愛飲の焼酎をお湯で割ったグラスを置き、もう、このまま日が変わってもいいような気がしている。

というのも、関西における381系電車の定期運行が終了すること、すなわち国鉄特急色を纏った車両の定期運行が終了するという日になった。ここでいう国鉄特急色とは、昭和33年10月に登場したモハ20系電車→151系→181系電車の纏った肌色の地色に濃い赤の窓回りというあの色合いだ。

今年はこの色合いが誕生してから57年ということになり、一つの色合いがそのまま半世紀以上にわたって続くのはこれは如何にこの色合いが日本の気候風土に合っていたかという証左でもあるだろう。

181中学生のころの拙い写真だが181系「とき」の凛々しさにはこれを見に来てよかったと思ったものだ。

僕は関西在住だから東北・関東方面への縁は余りないのだけれど、少しだけあるコレクションから出していくつもりだが、過去には485系上野駅の記事もあるので、そちらも参考にしていただきたいと思う。

485国鉄と言えば「つばめ」、この名称の列車が国鉄特急色だったのは151系時代と481・485系になってから、それも昭和50年3月までだ。

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「なは」倉敷駅で・・

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秋田駅での「たざわ」「つばさ」、今やどちらも新幹線ルートとなった列車だが、「たざわ」は「こまち」にとってかわられた。

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こちらは「いなほ」

80国鉄特急色は気動車特急にも・・

「まつかぜ」キハ80系、武田尾での撮影だ。

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北海道にも特急気動車・・キハ80系「おおぞら」、開業直後の千歳空港駅近くで。

485_3こちら九州の「みどり」編成が留置線で休んでいるところ、関東から転用のクロ481が並ぶ。

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こちらは「有明」先頭車はクハ481-1だ。

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「かもめ」原田にて。

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「あいづ」上野駅で、クロ481はこの列車のために生まれた。

我が父祖の地は会津から下野にかけてで、今もわずかに親族があり、かつてはこの列車にも好んで乗ったものだ。

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国鉄特急色は四国にも・・

多度津付近のキハ181「南風」・・

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「しおかぜ」、周囲の様子がまさに当時の国鉄を思い出させる・・松山駅。

485_4北陸路には「雷鳥」、11連中、サロ2両、サシ1両という今では考えられないデラックス編成だった。

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こちらは上野と北陸路を信越経由で結んだ489系「白山」

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「雷鳥」ボンネット型先頭車。

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最終期の「雷鳥:先頭の展望グリーン車は「スーパー雷鳥」のもので、後に国鉄特急色に塗りなおされた。

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最近まで走っていた183系電車の「ムーンライトながら」

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北海道では新型電車特急も当初は国鉄特急色を纏っていた。

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そして新型気動車特急も・・キハ183「北斗」

この塗装を纏った国鉄車両としては、151・161・181・481・483・485・489・781・キハ80・キハ181・キハ183、そして、後に塗装が変更され特急車の仲間入りをした準急用157系と非常に多岐にわたり、日本全国の津々浦々にまで、特急と言えばこのカラーを印象付けた。

よく考えると、国鉄の走っていない沖縄県以外のすべての都道府県でこの色合いの列車が優等列車の代表である「特急」だったわけだ。(奈良県には短期間だがキハ80系の定期運用があった)

緑の色が濃い日本の風土には緑の補色である赤系統の色合いが良く似合うものなのかもしれない。

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山陰本線久谷付近でのキハ181系。

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宮津線、キハ181「あさしお」

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冬の武田尾、キハ181「まつかぜ」

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余部橋梁、キハ181「あさしお」

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伯備線布原、381系「やくも」

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倶梨伽羅峠、キハ80系「ひだ」

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須磨海岸を行くキハ181「はまかぜ」

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須磨海岸の「シュプール」381系。

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本年初頭撮影、485系原色編成による「北越」、魚津駅で。

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さて、今回、北陸新幹線開業による「はくたか」廃止などにより転用された683系改め289系による置き換えとなった「こうのとり」「北近畿」系統の過去の様子も今一度・・登場当時の「北近畿」。

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183系に改造後の「北近畿」後部にキハ65、「エーデル丹後」を連結している。

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207系と並んだ183系「こうのとり」尼崎にて。

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尼崎での後追い。

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223系と並ぶ「こうのとり」、城崎温泉。

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新大阪での183系「こうのとり」

紀勢本線287系投入により余剰となった381系がまず、183系を淘汰・・

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381系「きのさき」、復元なった福知山城をバックに・・

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淀川をわたる381系電車の俯瞰。

「くろしお」運用ではオーシャンカラーと呼ばれる青系統の色合いに塗られていた381系だが、福知山・山陰系統への転用に際し、わざわざ国鉄特急色への復元がなされた。JR西日本からファンへのプレゼントだ。

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大阪駅での「こうのとり」、この編成はひとまず183系JRカラー車の置き換えに「阪和ライナー」から転用されたもので、この後、「くろしお」リニューアル車が入ると廃車されている。

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道場駅付近にて、381系「こうのとり」

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伊丹駅での様子。

381_5走り去る国鉄色381系・・もうこの姿を定期列車で診ることが出来ない・・

時の流れは致し方ないが、それでも「特急」とはこの色、それが消えることの侘しさは、やはり僕らの世代では避けようがない。

今でも、線路際に行くとこの色合いの特急列車が走ってきそうな気がする・・たぶん、僕の中では一生、国鉄・JRの特急列車といえばこの色合いなんだろうなぁ。

2015年9月26日 (土)

Photo Archive 改めて湘南形二枚窓の電車を思い返す。

昭和25年、国鉄としては画期的な電車による長距離運転を実現した80系が登場、当初は半流線型3枚窓のデザインだったが、このデザインが戦前最盛期の国電デザインに比しても何となく間の抜けた感じであり、二次車からは思い切ってデザインを変更、流線型二枚窓という全く新しいデザインとなり、一世を風靡するようになる。

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初期、一次形、名古屋にて。

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夢前川の80系電車。

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播州赤穂駅に入る80系電車。

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 こちらは夢前川橋梁東側の築堤にて、クハ86300代先頭。

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国鉄ではこの後、この電車のイメージを気動車、機関車にまで反映させる。 気動車では電気式キハ44000型がこのデザインを採用。後にキハ17系液体式気動車群が登場してからは合造車や郵便荷物車などに改造された。  写真は加古川駅に入るキハユニ15、変わった顔立ちが印象的な3号車だ。

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こちらは加古川駅で荷扱い中のキハユニ156、加古川線には3両のキハユニ15がいた。

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 機関車、電気式ディーゼル機関車、DD50、米原駅構内にて。

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当初評判の良くなかった戦後復興期の大型電気機関車、EF58は大規模な更新工事を受け、その際に車体を流線型二枚窓に改められた。 今も人気の高い機関車だ。 写真はEF58トップナンバー、宝殿にて。

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EF5880、流し撮り、流線型EF58の顔立ちの何と美しいことか。

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 70系電車、府中電車区。 80系が正面と側面がややアンバランスなイメージがあるのに対し、上下に拡大された二段式の側窓、明るいクリーム主体のツートンカラーで登場した70系のデザインは品がよく、国鉄が作ったこの種のデザインでは白眉ではないかと思う。

しかし、国鉄で湘南形二枚窓を採用したのは量産車ではここまでで、これ以後、電車・気動車は使いやすい貫通型、特に電車急行、近郊型電車にはパノラマミックウィンドウと組み合わせた格調高いデザインが中心となった。 だが、私鉄では国鉄デザインよりさらに良いものをと、一種独特の湘南形風二枚窓デザインを採用した会社もあり、全国手に大流行、さらに昭和40年代になっても湘南形二枚窓を基本としたデザインを採用すr会社もあるなど、大きな影響があった。

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京王帝都のグリーン車、2023、京王八王子にて。

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 3000系ステンプラカー、明大前。

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 更新車、3772、明大前。

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 名鉄5000系、一種独特の流線型、丸い車体は国鉄デザインのはるか上を行った。 日本車両と名鉄の意欲が表に出た形だ。

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東急5000系、写真は熊本での様子だが、これまた独特の軽快さで私鉄らしい車両だ。

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 移籍先の長野での様子、赤系統の塗装がよく似合う。

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その長野電鉄が近代化初期に特急用として投入した2000系、名鉄5000と同じメーカーで、似た雰囲気ながら独自路線を行く。

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西鉄1000系、3ドア改造後、やや野暮ったい、面長なデザイン。 この、独特の風貌がまた魅力だった。

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神戸電鉄300系、阪神3011系は早くにその姿を変えてしまったが、その香りが漂う。

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 南海、11001系→この頃は1001系改造後。 新今宮駅。 国鉄湘南形二枚窓を基本にしたデザインでは、もっとも完成度の高いデザインだと思う。 側面と正面のバランス、長い車体、そして明朗な緑濃淡のカラー。

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南海21001系、11001系と同じ系統のデザインだが、車体サイズが短く、トンネル限界の関係で屋根が低いので微妙に印象が異なる。 なぜか、関西私鉄は湘南形デザインには消極的だったが、南海はうまくこのデザインを昇華させ自社のものとした。

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富山地鉄181、14780系の制御車、長野・名鉄と同じメーカー、日本車両による意欲的な作品で、正面の傾斜はないが、塗装と相まって独特の風格を感じる。

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近鉄800系、湘南形二枚窓のアレンジとしてはデザイン的にも一歩抜きんでているように思う。

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 近鉄409、更新車にも湘南デザインが登場したが、こちらは800系に比すとバタ臭い感じがする。

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 近江鉄道132、近江鉄道はこの電車をすべて自作。 自作でもここまで見事な車両にできた・・驚嘆に値する。

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大井川鉄道(元北陸鉄道)6050系、湘南形デザインを一歩進めた、大型パノラマミックウィンドウ、アルミ車体という大変な意欲作。 これも日本車両の手によるもの。

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茨城交通ケハ601、ステンレスの気動車、車内は通勤型仕様だが、その存在感は大きかった。

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福井鉄道200形、これも日本車両の手による意欲作。 湘南形と101系デザインを合わせ、車内は111系、そして連接車という車両で、今も残るが福井鉄道LRT化により、去就が注目されている。 写真は武生新における準急→急行への変更作業。

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 伊豆箱根1000系、西武系の鉄道は二枚窓がとても好きだけれど、ここの車両は一味もふた味も違っていた。

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二枚窓電車が3編成並ぶ。

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十和田観光、1205、三沢にて。 北海道・札幌で電鉄を運営していた定山渓鉄道の車両。

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 京浜急行600形。 久里浜にて・・走行シーン。

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 編成の連結部分。 オールM、クロスシート、正面デザインは全体に傾斜した独特の二枚窓、側面大きな窓と相まってバランスのとれた美しさを見せる。

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久里浜駅ホームで先頭車のアップ。

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中間車の様子。 阪神3011系よりやや後の作品だが、僕らはこの電車に阪神3011の面影を見た気がした。

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西武鉄道101系、池袋にて。 湘南形大好きな西武の、もっとも洗練されたデザイン、黄色とグレーのツートンが良く似合っていた。

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 流山電鉄での元西武車、バランスのとれた、かっこいい電車だ。

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大井川鉄道の元西武車、こちらは3ドアを2ドアに改造、クロスシートを設置して活躍していた。

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 岡山臨港のキハ7001、元はと言えば北海道、夕張鉄道の気動車だった。

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紀州鉄道の603、はるばる大分からやってきた。

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長らく、国鉄は湘南形デザインの本家でありながら、そのデザインを生かした車両を作ることはなかったが、末期にようやく2種の電車が登場した。 写真は185系、鼻筋を通し、全面上部に傾斜を付けるなど、湘南形の末裔であることを宣言しているように見える。

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117系、関西急電からの伝統を、うまく受け継いで見事に表現した、国鉄デザインとしては最高傑作のひとつであると信じる。

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最後に偉大な80系湘南電車の面影をしのびながら・・ 飯田線。

 

2015年8月25日 (火)

昭和61年夏、姫新線・芸備線の旅

今夏、30年ぶりに姫新線・芸備線で中国山地の山の中を通って広島へ出る旅をした。その30年前の旅行時の写真だ。

両線とも急行列車も走り、まだまだ活気があったころだ。

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姫路7:02、姫新線823Dはキハ40とキハ47の2連だった。この列車は播磨新宮に7:53、津山には9:41に到着する。

この頃、すでに高速バスに敗れた姫新線急行列車は一往復にまで減少していた。

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本龍野の跨線橋にクラシカルな駅名票。

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津山では2分の接続で861D、9:43となり、降りて写真をとる暇はなかった。

新見、11;33、ここでしばし下車して昼食や列車の撮影などもした。昼食は駅の蕎麦が大変美味しいところだったので、それを食べたように思う。

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姫新線折り返しの津山行き。

今のキハ120に比すとやはり貫禄がある。

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新見駅舎・・

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姫新線・芸備線ホームの様子。

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芸備線列車は13:38の863D、キハ45の2連だった。

ここから先も本数は8往復を数え、一往復は急行列車の末端区間で、列車は「たいしゃく」、この以前には新見から全区間急行の広島行きだった。芸備線は東城を過ぎるとハイライト、日本屈指の山の中を走る。

それでも、当時は道後山にはスキー場もあり、観光的な色彩がないわけではなかった。

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備後落合15:07着、列車が到着したホームには蕎麦屋が営業していて、ここの蕎麦も大変美味しかったと記憶している。

僕たちはここで一本後の急行に乗ろうということになり、普通列車を見送る。

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急行には三次から4連で来た列車の後部2両が使われた。

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前部2両が普通列車として新見へ向かっていく。

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ホームに停車する、三次から急行になる「みよし」号。

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ホームの駅名票も一緒に。

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列車の愛称板。

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備後落合駅の駅舎、何故かパトカーが。。

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保線用のモーターカー。

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保線用の牽引機械。

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16:05、三次から急行になる「みよし」号発車、次駅の比婆山駅。

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比婆山駅舎、何やら地元の人が作業をしていたようだ。

列車は三次を17:20に発車し、広島には19:39に到着した。姫路からの所要時間は12時間半だった。

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広島では路面電車が、それも元神戸市電が迎えてくれた。

このときの旅行ではまだあまり意識はしていなかったが、当時であっていた女の子たちが芸備線沿線の出身で、惹かれるものがあった。

この旅行も彼女たちから故郷の話を聞いていたからこそ、実現したようなものだったが、高速バス台頭の前夜といっていい時代、そろそろ姫新線・芸備線に陰りが見え始めるころ、思えばこの旅行はしておいてよかったとつくづく思う。

さて、先だって、お盆明けに休暇をもらい、、まさに30年ぶりにこのルートで旅をしたのではあるが、時代の変遷は何もかもを大きく変貌させていた。

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高架の姫路駅に入線する姫新線、高性能気動車、キハ127。

しかし、高性能気動車が走るのは佐用までだ。

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津山にて、軽快なワンマン気動車、キハ120。

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新見の駅舎。

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備後落合で出会う芸備線と木次線のキハ120。

備後落合・東城間、備後落合・出雲横田間はいずれの3往復しか列車が走らず、姫新・芸備線を通しての旅はわずか一日1往復しかできなくなってしまった。

しかも、広島から姫路へ向かうルートは姫路到着は深夜といっていい時間だ。

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広島に到着した快速「みよし」ライナー、キハ47(右)。

快速列車は三次・広島間を1時間26分で走破、停車駅が増えてもかつての急行とさほど変わらない。

今夏、30年ぶりに実現した旅では、姫路6:56、途中、播磨新宮、佐用、津山。新見、備後落合、三次で乗り換え、広島には17:28(実際は20分ほど遅れて到着したが)に到着した。

JR西が安全確保のためと称して行っている、線路脇民有地の保安のために速度を時速25キロ以下に落として運行している区間も相当でてしまっているが、これを含めても、所要時間は10時間半と、かつてよりも相当スピードアップしていることに驚かされるが、それにしても、本数的には一日3往復の区間があるというのはもはや、鉄道としての使命が終わったことを内外に宣伝しているようなものであろう。

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姫新・芸備線の山間部は、日本の鉄道としては有数の深い山の中を走る。

そこに広がる風景こそ日本人の原風景でもあり、それを生かした積極的な旅客誘致が求められるといえば・・それは素人の浅はかさなのだろうか。

2015年8月 3日 (月)

Photo Archive キハ80系賛歌

このブログでは以前に485系583系381系キハ181系を個別に取り上げてきたけれど、キハ80系に関してはブログ初期の文章中心の頃にしか特集していなかったように思う。

Facebookグループ、「国鉄・私鉄の思い出」でときに日付を意識してその日付に合わせた番号の形式や車両を出し合って遊んでいるけれど、8月ということでキハ80系の在りし日の姿を多くの方々から見せていただくことができる。

そこで、今回は国鉄特急形写真集として5番目、キハ80系としていきたい。

基本的にPhoto Archiveとしてブログ過去ログからの出典とするけれど、まだ未公開だった写真もいくつか入れていきたいと思う。

最初に登場したキハ81を先頭としたグループは画期的な日本初の気動車特急というシステムなのに、現場での習熟も十分ではなく、「第二回アジア鉄道首脳会議」にいわば強引に間に合わせた感もあり、結果として初期故障が多発、新聞ダネにもなってしまったけれど、この後改良がすすめられ、現場ではそれ以後、好評だった。 キハ80系の最大の功績は、新時代の鉄道をイメージさせる全国特急列車網を拡大していくうえでの主力となったことで、これにより日本全国の主要幹線に特急列車が走ることになったわけだ。

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天王寺駅でのキハ81、「くろしお」 僕はこのクルマが営業運転している姿を撮影できたのはこれ一度きりだ。

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 同じ「くろしお」キハ82、海南駅にて。

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 昭和57年梅雨入りの日、山陰本線東浜で「はまかぜ」

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 同じ日の「まつかぜ」

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 その反対側。

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 函館本線、豊平川橋梁の「おおぞら」

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同じ場所で「北斗」

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大阪駅での「まつかぜ」

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大阪駅で「はまかぜ」がDD54と並ぶ。

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福知山線武田尾にて、キハ82「まつかぜ」

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 城崎駅にて、「まつかぜ1号」と「だいせん2号」が並ぶ。

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「まつかぜ」が発車する。

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城崎の温泉街を通過する「まつかぜ」、食堂車、グリーン車の姿も見える。

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長駆博多へ向かう「まつかぜ」、13両編成の威容。

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改築中の山陽本線宝殿駅にて、「はまかぜ」

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余部橋梁におけるキハ80系列車。

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その列車が谷あいの空中を通過する。

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餘部駅での通過後の「あさしお」と少年たち。

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友人、K君撮影、倉敷駅を通過する「かもめ」

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高砂工場における検査の様子。 キシ806、入場待ち。

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ジャッキアップされる。

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その妻面。

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キシ80の車内。

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トラバーサに乗るキハ806。

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全般検査完了後のキハ806。

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完成し試運転を待つキハ82。

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 こちらはキロ80。

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キハ81の3と5が高砂工場に廃車解体で入場してきた。 工場の誰しもが「ほんまに解体するのか」と首をかしげる・・工場職員にはこのクルマの「値打ち」が分かっていたのだ・写真はキハ813・・このあと、交通科学館で急遽保存されたクルマだ。

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 こちらはキハ815全景、すでに解体前提で3ともども、主要部品が外されつつあった。

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左側の様子。

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キハ815の正面。

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運転室付近。

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右後方から見た様子。

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筆者(下)と友人、せめてもの記念撮影。

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キハ815の台車。

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JR化後の前に、すでに西日本エリアからキハ80は消滅していた。 東海で残ったキハ80系「ひだ」

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JR化前、すでに「ひだ」と並んで最後の活躍をしていたキハ80系「南紀」、多気にて。

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キハ28系急行「志摩」と並ぶキハ80系「南紀」。

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キハ80は初期高性能車の宿命で、軽量車体が災いし、これが寿命を縮めてしまった感がある。 特に北海道での厳しい自然環境では、本州と同じ設計の車両ではやはり無理が生ずるのは致し方ない。 なぜに、急行用やローカル用気動車は特別な設計をしていたのに、特急気動車のみ、本州と同じものをもち込んだのか・・

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末期の北海道での傷み具合は相当なもので、高砂や向日町による、手入れの行き届いた車両しか見ていない僕には北海道のキハ80系が老骨に鞭うつ姿を見るのは辛いものがあった。

そこで後に専用設計のキハ183が登場するわけだが、その少し前の時期になぜ電車特急として本州の485系を少し味付けを変えただけで送り込んでしまったのか・・ 結局、国鉄はキハ80系の北海道での惨状からなにも学ばなかったわけだ。

言葉を変えれば、キハ80系の失敗は気動車故にキハ183として結実し、電車特急485系はそこで失敗しなければ何も分からなかったということだろうか。 その後、781系の登場と相成ったのは読者諸兄の知るところだ。

だが北海道での厳しい自然環境による老朽化の進展を別にすれば、この気動車は優秀な車両だった。 現場では扱いやすく、非力ではあっても当時としては考えられる最高の高性能、当時としては燃費も良く、1000キロ超の運用でも無給油で賄える。 乗り心地は良く、車内は極めて静かで、この点では後継の181系の及ばない部分でもあった。 独特の浮床構造に加え、窓周りの部材に木材を多用したことが乗り心地と静粛性の向上につながったのは間違いがない。

僕は国鉄の名車として20系客車や153系電車とともにキハ20・キハ28とこのキハ80系列をトップに挙げるけれども、国鉄気動車というのはそれほど木目の細かい優しい作りであったということだ。

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福知山線、武田尾付近でトンネルから飛び出るキハ82「まつかぜ」。

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別の日、反対側のトンネルに吸い込まれていく「まつかぜ」

名車の記憶は色あせない。 そこにこそ、国鉄の、日本国有鉄道の良心と輝きがあったのは間違いがないことだから。