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2012年5月16日 (水)

阪急6300系三態

阪急6300系が通常の特急運用を追われ、いったん引退したのは2009年で、そのときの追悼文は過去ログをご覧戴きたい。

思い出の阪急6300系特急 阪急6300系

僕は、国鉄117、名鉄7000、京阪3000、南海11001とこの阪急6300に関しては、他の名車と一線を画する車両と認識している。
彼らの共通点は転換クロスの二扉で、名鉄・南海の一部運用を除けば特別料金不要で気軽に乗れる優等列車に使われたことだろう。

さて、いったん引退した阪急6300だが、まさかの復活劇を遂げ、今や阪急の大看板「京とれいん」として週末に走っているのはご存知の通りだ。
そこで、ここ最近撮影した写真から阪急6300系の三態を見ていただこうと思う。

6450 まずは今もオリジナルのまま残る6350Fによる快速特急だ。
これは、京とれいんのデビューまで、行楽シーズンの土休日に一往復だけ走ってくれたもので、この列車が走ることは僕を狂喜させた。
十三における臨時快速特急の入線風景。

6350 つづいて梅田における入線風景。
6連に短縮されたが、6300系快速特急復活運転の時のもの。

64516453 こちらは嵐山線専用電車に改造された6300系。
編成を4連とし、6351F、6352F、6353Fの3編成が改造された。
6351と6353が松尾ですれ違う。

63516357 6300系特急現役最末期のころ、桂では特急用の6300系と嵐山線専用の6300系が出会う姿が見られた。
写真は6357と6351が出会った様子。

6357 その6357の梅田行き特急、桂駅への入線風景。

6351 松尾における6351・・嵐山へ向かう。

6352 こちらは雨の中、嵐山へ向かう6352。

6300 その阪急6300系の三種類の車内を見ていただこう。
まずはオリジナル6350Fの車内全景。
伝統のゴールデンオリーブの転換クロスがずらりと並ぶ。

6300_2 車内妻面の様子。
窓のない妻面、ゆったりとした転換クロスは、まるで長距離列車を思わせる。

6300_3 座席の様子。
腰が高く、日よけが下降式のブラインドという阪急デザインでは、座面の低い転換クロスだと窓框に肘をかけることが出来ない。
窓側の肘掛が重要な意味を持つ。

6300_4 その座席、足元にはパイプで構成された簡単な足置きまである。

6300_5 車端部、出入り口の補助椅子。
セパレートタイプで引き出すと背もたれも前にせり出してくる良心的な設計だった。

6451 さて、こちらは嵐山線6351Fの車内の様子。
出入り口から窓二組分がロングシート化されたが、座席は9000系タイプの上質なもの。
ロングシートだがソファのような雰囲気を持つ。
さらに窓は全面的にブルーの熱線吸収ガラスに、日除けはロールカーテンに、転換クロスの座席は9300系タイプのものに改められて、面目を一新した。

6352_2 こちらは6352の車内。
室内のイメージとしては9000系、9300系に準じた上質なものになっている。
嵐山線といわず、土休日の特急運用にでも使って欲しいような内装だ。

6451_2 なお、6451にはブルーリボン賞のプレートもしっかり取り付けられている。

6354 今度は6354Fを改造して今や阪急の大看板の地位にあるとも言える「京とれいん」
梅田へ入線する様子。

Photo 6354F「京とれいん」の車内。
まずは転換クロスで構成された車両の車内全景。側化粧板が木目調ではないことに何より驚いた。そして、暖色系に改められた照明、張り替えられ、イメージを一新した座席。
ただし、側窓の窓枠や窓ガラスは改造されておらず、この改造があくまでも試験的なものであることを実感してしまう。
なお、補助椅子は撤去されている。

Photo_2 中間2両の固定クロス車の車内。
阪急で初めて出入り口と客室の間の仕切りを設け、上質な6300系のイメージをさらに大きく向上させた感じだ。

Photo_3 客室仕切りの様子。
まるで上質な料理屋の玄関を思わせるといえば言い過ぎか。

Photo_4 その客室内。
窓は枠も含めて一新され、ロールカーテンが装備されている。
木目調で統一され、和風を強く意識したこの雰囲気は昨今の居酒屋にも通じるようにも思う。

Photo_5 天井部分。
9300系譲りの間接照明を和風にアレンジした感じだ。

Photo_6 二人掛けの座席の様子。
これは・・ここで数時間は飲み食いしたくなるなぁ・・
いっそのこと、この電車でビール電車でもいかが?なお、背もたれの腰部には畳表も使われている。

Photo_7 一人掛けの座席。
カップル御用達。
セミコンパートメント風であり、二人の世界にハマルには絶好の座席か。
座席ピッチは十分すぎるほどで、大阪からの行き先が京都程度というのはもったいない。

気になるのは、「京とれいん」の改造が一編成だけで、しかも、完全にイメージを一新したのが中間の2両だけという点だ。
僕は6300系オリジナルの深くて低い転換クロスは大好きで、だから、転換クロスがあることを嘆くものではないが、この車両では改造部分はごく限定的になっているあたり・・もしかしたらあくまでも実用試験という感じだろうかと危ぶんでみたりもする。

6354_2 その6354F、特急時代の様子。
梅田駅へ入線する。
今は見られない8連がやはり貫禄を感じさせる。

阪急6300系には一編成だけ、他とは違う異端車があった。
京都線高架化工事によるスピードダウンで、どうしてももう一編成が入用になり誕生した6330Fだ。
チョッパ制御、阪急の新理論である「プッシュブル方式」を採用した電車で、内装もやや重厚さを増し、ファンや利用者からは完成度の高い電車として知られていた。
システム的には7000系7300系の仲間だったが、この編成が真っ先に解体されたのは何としても残念なことだった。
6330 写真は南茨木を京都へ向かう6330F。

阪急の電車は全体的に長寿の傾向があり、京都線で2300系が今も走っていたり、神戸線で3000系が高速運転をしたりしているのを見れば、それは確かなことなのだが、6300系はすでに半数以上が廃車され、解体されてしまっている。
阪急の中で、阪急を支える看板でありながら、他の電車より早く第一線を引退したこの名車が、それでも、改造もされて一部とはいえ何とか健在なのは、阪急の方々がこの電車をこよなく愛しているその証左だろう。

ただ、気になるのはトップナンバーの6350Fが休車状態で正雀に保管されていることで、今はその使い道も見当たらないのかもしれない。
出来れば、オリジナルのイメージを残してリニューアルし、「京とれいん」と合わせて毎時運行の快速特急として使えないのだろうか。
このまま廃車されれば何としても残念で、ぜひとも、原型に近い状態でリニューアルして欲しいと・・個人的には願っている。
6453 最後に、雨の嵐山駅に入線する6453。
駅の照明と電車の雰囲気がことのほか美しい。

2012年4月30日 (月)

国鉄高砂工場でのちょっと濃い写真

改めて、古いネガが出てきたのでスキャンした。
今回、撮影時に何かテーマを決めた感じではなく、リコーS2というクラシックカメラを骨董品店のようなカメラ屋で手に入れたことからそのテスト撮影と言うか、お遊び的な写真だ。
もちろん、露出計などあるはずもなく、フィルム送りもムラがあって、きちんとした絵になっているのは少ないと言う代物だ。

撮影は昭和54年ごろ。
一部に写真からスキャンして既出したものがあるがご容赦願いたい。

Photo 向日町所属の標記があるオハ41、番号は367と読める気がするが、この当時、この番号の所属はなく、360というのがいるから、これかも知れない。
草津線の朝ラッシュ時の輸送力列車に使われたはずだ。

Photo_2 岡山に居たキハ17 321。
新塗装になっているから、まだ検査切れしていなかったのかもしれない。
廃車留置線だ。

Photo_3 岡山のキハユニ15 1。
キハユニ15のトップナンバーだが、事故復旧か何かで正面のデザインがキハ17とおなじものに改められていた。

Photo_4 そのキハユニ15 1の妻面。
こうして見ることが出来るのは珍しい。

Photo_5 キハユニ15 1の客室。
粗末で狭いピッチのクロスシートが並ぶ。

Photo_6 豊岡に居たキユニ11 1。
キハ10の面影が残る。

Photo_7 スエ3137。
これは廃車ではないかもしれない。
撮影場所が入場待機線だ。
なお、記録によればこのクルマは茅ヶ崎の所属で、高砂には入場しないはずで、転属だったのか、あるいはさらに他の車種への改造が為されたのかも今となっては不明、元はスハ32系一党のマニ31との事。

Photo_8 廃車留置線に放置されていた国宝級のクルマ、スロ60 1の妻面。
全体像は以前に出したと思う。
なぜかこのフィルムには妻面だけが写っていた。

Photo_9 スロ62、天リウの標記があり、よく見ると番号は2046と読める。
この当時、竜華にはスロ、スロフ合わせて6両が所属していて、団体臨時列車などに使われていたはずだ。
全般検査のために入場中。

Photo_10 ニ36、番号が読めないが、一般客車を改造したタイプで、全般検査のために入場。

Photo_11 その車内。
これは全般検査のために解体したその様子。
非常に珍しい写真だと思う。
鋼製ドアや窓を外して調整、戸袋の角材が外されているのは、戸袋奥を塗装するため。

Photo_12 入場待機のマニ36 2058。
窓配置や窓の大きさが出自を物語っているが、元はオロ40だったようだ。

Photo_13 最後に高砂線の工場配給列車。
DD13がトム、ワム、25形客車、キハ47を連結して走る。
模型で表現したら楽しい編成ではないだろうか。

Photo_14 その列車のワム60000を。
前後に客車・気動車を連結できる・・国鉄車両とはなんと自由に編成を組めたものだろう・・
(もっとも、電車だけは別だが・・)

2012年4月24日 (火)

山陽電車2000系とその仲間たち

山陽電車の高性能化の歴史は昭和31年の2000系から始まる。

戦後の世間をアッと言わせた私鉄界戦後最初の大型ロマンスカー800形の後を受け、カルダン駆動を取り入れ、将来の神戸高速乗り入れ対応も目指したのが2000系だが、性能面での差異はこの系列最後までほとんど変化がなかったのに、その車体形態が激しく変化し、とても同じ系列だと見えなかったシリーズでもある。

さて、僕が写真を撮影し始めた頃、既に2000系の主流を成していた鋼製2ドアクロスシートの車両は大半が3000系のサハに改造され、僅かに5編成が2000系として残っていただけだったが、その5編成の車両たちにおなじ形態のものは一つもなく、2000系のバラエティを楽しめたものだ。
なお、今回の写真の撮影時期は昭和51年から57年ごろだ、

827 まず、2000系以前の主力形式、特急用だった本邦戦後最初のロマンスカー800形の当時の姿。
場所は加古川橋梁。

2001 2000系トップナンバー編成、加古川橋梁にて。
2000・2508・2001の編成で、前後が昭和31年に最初に登場した高性能車。
ロングシート、広幅の窓を持つ2ドアで、正面は非貫通、登場当初に比すと正面窓が改造されて、随分可愛い雰囲気になっていた。
なお、運転台側の窓が再改造されてやや小さくなった後の写真。
中間車は昭和39年、ステンレス・アルミとおなじ通勤仕様で作られた3ドア・ロングシート。

2008 2002から4編成が京阪1900系に良く似たサイドビューの2ドアクロスシート車。
ただし、京阪1900系のほうが後だから、あちらが山陽2000系に似ているのか・・
で、この編成はその最後、4編成目の2008・2507・2009の編成。
撮影場所は別府付近。

2008_2 その編成をサイドから見る。
場所は大塩付近。
両側のクロスシート車は、座席をこの後のステンレスカーに転用し、早々とロングシート化されている。
中間車は上記2000編成と同じく後から挿まれた通勤仕様の3ドア車。

両側Mcの狭窓と、中間車の通勤車然とした対比が面白い。

2009 須磨浦公園で上から見た様子。
2000系はこの当時、全編成がMTMで主電動機出力は110キロワット、主制御器が当時いまだに昇圧していなかった阪急・阪神にあわせ複電圧仕様となっていて、その構造が複雑で、これが2000系の寿命を縮めることになった。

2010 2000系のクイーンともいえる2010・2500・2011編成、須磨寺で。
昭和35年当時、未だ珍しかったステンレスカーで、しかもクロスシート。
中間車の2500が一足先に落成したそう。
この当時のステンレスクロスシートカーといえば他に国鉄のサロ153があるだけで、この少し後にアルミで製造された北陸鉄道「しらさぎ」と好対照を成す存在。

2010_2 その編成を地下工事中の板宿付近で。
この編成は2000系で最後に残ったクロスシート編成だった。
ロングシート改造とともに、前照灯の2灯化、室内蛍光灯カバーの撤去も行われた。
2000系シリーズ唯一の空気バネ台車で、京阪1900系は未だ登場以前だったから、京阪1810系を上回る斬新なクロスシート特急車だったわけだ。

2012 昭和37年製造の日本最初のアルミカー2012・2505・2013編成、別府付近で。
本邦初の軽合金電車。
川崎車両の試作的意味合いが強いとはいえ、戦後すぐのロマンスカー800形で世間を驚かせた山陽が放った画期的な電車。
ただし、3ドアロングシート、車内にはスタンションポストが設けられた純然たる通勤仕様で登場した。
この編成は今もまるごと、東二見に保管されている。

2014 そのアルミカーとおなじ仕様のステンレスカー、2014・2506・2015の編成、東須磨駅で。
ステンレスとアルミで長期実用試験を実施していたとのことだが、ステンレスは上記2010編成も含めてセミステンレス。

2015 雪の別府駅を出る2015ほか。
別府鉄道廃止当日の撮影。

2000系はOK台車の独特の乗り心地、軽快なモーター音、作りの丁寧な車内の雰囲気・・鉄道ファンとして乗車する喜びを感じさせてくれる電車でもあった。

2701 2000系にはその亜流もあった。
国鉄63型の台車や機器類を使用し2000系とおなじ車体を載せた2700形だ。
2700形は当初は西代車庫火災で被災した63型=山陽700形2両を改造したのが最初で、当初は2002からの4編成と同じく前面非貫通、2ドアクロスシートの車体だった。
写真は須磨浦公園で。
前面に貫通扉が設けられたが、正面の雰囲気は非貫通時代の面影をのこしている。

2300 その2700形は、最初の2両のみクロスシートで、のちには2000系後期車とおなじ通勤仕様となるが、その通勤仕様の車両の機器類を3000系にあわせ高性能化したのが2300系。
トップナンバー編成をサイドから。
場所は大塩付近。

2601 こちらは第二編成、的形付近にて。
2300系は車体こそ2000系の面影を持っていたが、乗り心地は完全に3000系で、システム的にも3000系の一員であり、後に冷房改造まで施された。

277 2000系の亜流と言えば旧型車更新シリーズの250形も、2000系登場後にはデザインが2000系2ドア車に酷似したものとなった。
(それまでは800形のイメージの車体だった)
車体全長がやや短く、車内もすべてロングシートだったが総数20両を数え、一時の山陽普通車のイメージを決定付けていたかもしれない。
このあたりは名鉄のHL更新車と似た感覚だ。
写真は須磨浦公園における277ほか3連。
(なお、山陽や阪急では特急列車、普通列車のことを「特急車」「普通車」と言う言い方をするが、他の鉄道では見られない表現ではないだろうか)

313 さらに、戦前戦後の流線型200形も2000系ベースの車体に載せかえられた。
これが300系で、車体幅は広いものの、全長は15メートルで、2000系通勤仕様のドアから車端までのあいだの窓を減じたようなデザインだった。

写真は加古川橋梁にて。
一部は3000系登場後に落成したため、車内のスタンションポストは斜めになった形状・・3000系とおなじものだったが、車端の窓一つ分は立席になっていて、ここに立って窓を開け、海を眺めるのが心地よかった。
最も、性能は低く、運用が固定されていたように思う。

2000系は結果としてさまざまな試作的意味合いが強い系列となり、山陽の決定版としては昭和39年の3000系を待たねばならなかった。
3600 写真は須磨浦公園を行く3000系トップナンバーの編成で、この電車は今も健在。
本邦最初の量産アルミカーだが、結局コスト面から2編成のみアルミで製造され、しばらくは鋼製車の製造に切り替えられた。
次にアルミカーが山陽に登場するのは昭和56年だ。

3556 2000系のクロスシート特急編成3本が3000系の中間サハに改造され、3ドア、ロング化して組み込まれたが、写真はその初期の様子。
3555号、加古川橋梁で。
3000系に合わせたデコラを貼り、床も3000系とおなじ模様入りのものに改められていたが、独特の深い座席、それにOK台車の振動の少ない乗り心地が、かろうじて2000系であったことを想像させてくれる電車だった。

3563 この当時、阪神からも山陽2000系とおなじ時代に生まれた初期高性能車が入線していた。
まずは阪神最初の大型車、クロスシート特急車を改造した3061系。
場所は板宿と西代の間辺りだろうか。
直角カルダンの駆動音と、深い座席が心地よい電車だった。

3503 阪神の急行系最初の3501形。
場所は須磨寺付近。
2個一組の、まるで国鉄グリーン車のような側窓が印象的な電車だった。

57 ついでに、その当時の山陽電車の「電鉄姫路駅」
古きよき関西私鉄の香りが感じられる駅だった。

Photo そして、西代の旧本社。
画面右脇には神戸高速開業以前の西代下りホームと車庫への側線が見える。

2012年4月18日 (水)

21世紀にキハ20系列を見る。

21世紀もいつの間にか11年を経て2012年になった。
その21世紀の、それも10年以上を経た今、僕が国鉄の名車の一つに上げるキハ20系列が今も見られるというのは、これはまさに奇跡だろう。

昨夏と今春、私鉄2社を訪ねたのはやはり、キハ20系列に会いたかったためだ。
会えれば由、もちろん乗れればなお由であり、何よりもその姿を見ることを最大事に現地へ向かった。

昨夏に訪問したのは東日本大震災の壊滅的な被害からようやく立ち直った「ひたちなか海浜鉄道」だ。
このブログでもかつて紹介した「茨城交通湊線」を受け継いだ第三セクター鉄道である。

ここには新型気動車も入っていて、夏場であったことから冷房つきの新型が稼働していただけだったが、那珂湊の車庫には現役・廃車含め何両ものキハ20系列が所狭しと並べられていた。

2005 急行カラーに塗られ、キハ26に見えるのは留萌鉄道からやってきた国鉄キハ22と同型のキハ2005、その後ろには国鉄から水島臨海を経てやってきたキハ205。

205 キハ205のサイドビュー。
懐かしい国鉄標準色だ。

Photo キハ2005とキハ205の連結面。
これだけで、昭和40年代の国鉄気動車を現して余りある。

Photo_2 車庫にいるのは初期の青系統に塗られたキハ222と国鉄準急色のキハ2004。
キハ222は羽幌炭鉱鉄道出身の気動車だが国鉄キハ22と同型で正面窓の旋回窓はこれはもう国宝級のもの、キハ2004は留萌鉄道出身でやはり国鉄キハ22と同型で、この2両で近代化初期の国鉄気動車を示している。

ひたちなか海浜鉄道はファン心理を良く心得てくれていて、キハ22の車体をさまざまなカラーで塗装することで、かつての国鉄の気動車の雰囲気を見事に表現している。
けれど、それらを出来るなら並べて見てみたい・・
車庫の一部を改装して「昭和気動車博物館」とでもして、入館券を那珂湊駅で販売して、全国からファンを呼び込めば如何だろう。
いまは廃車になっている鹿島臨海を経てやってきたキハ20も赤系統の鹿島臨海カラーに復元、この系列の本当の良さをじっくり見てもらう格好の施設になると思うのだ。

ついでにケハ600にも何らかの台車をはかせて「日本最初のステンレス気動車」として華々しく展示できないだろうか。

さて、つい先ごろ、3月に訪問したのが岡山県倉敷市の「水島臨海鉄道」だ。
迂闊にもこの鉄道でキハ20が今も現役なのを知ったのはつい最近のこと、神戸から117 近いとはいえないが行けない距離ではなく、朝の通勤列車を狙って訪問した。
倉敷駅までは国鉄の傑作117系電車に乗せてもらった。

113 そして倉敷駅西方の跨線橋からなんと113系700番台の原色編成が走るその線路の横・・

208 水島臨海鉄道の平日のみ、一日数往復しかないキハ20担当の列車がやってきた。
先頭は水島カラーのキハ208。

203 後ろは国鉄標準色に復元されたキハ203だ。

この色合いこそ、21世紀に現役であることが奇跡であるさらにその上の奇跡だ。

あわてて、その折り返し列車に乗車し、久々のキハ20を楽しんだ。
203_2 水島キハ20の車内。
ほぼ原型でロングシートの増設も為されていないが、よく見るとトイレが撤去されている。

20 通路の様子。
ゆったりとしたクロスシートが並ぶ。

203_3 天井。
拡声器、通風器はオリジナルのもの、照明は20ワットの蛍光灯、これも二段窓車なら標準のものではないだろうか。
ただし、冷房は後付で、JR多度津工場にて施工されたとのこと。

203_4 座席。
ゆったりとした急行型サイズの座席だが、窓側の肘掛がない。
このゆったりとした座席こそ、僕がこの系列を名車であるとする所以だ。
壁は本来はハードボードだが、色あせや傷みがひどかったのだろう、おなじ系統の緑色に塗られている。
上窓の手掛けが一つなのはこの系列の特徴だ。

20_2 運転台側を望む。
折りたたみ式の車掌台とこの部分にもクロスシートを配した良心的な設計だ。
冷房改造時にトイレも撤去されたが、側構は廃車車両から移設されたのではないだろうか。
トイレ撤去の痕跡が見当たらない。
この手法はナハ21改造時にも用いられた。

20_3 窓框の様子。
この系列では窓框をやや広い木製にしていて、飲み物などを置けるように配慮されていた。

20_5

網棚。
国鉄時代の「網」そのもので、これを今も保守しているあたり、水島臨海鉄道関係者の努力が感じられる。

水島臨海鉄道では保守に苦しみながらもキハ20を維持してくれている。
沿線は近代的な工業地帯であり、線路も大半が高架、およそ旅情とは言いがたいが、キハ20は大きな財産ではないだろうか。
もっと、この車両が知られ注目を浴びる日が来ればと思うが、そうなればなったで盛んな貨物輸送の安全運行に支障がないとも限らず、難しいところだ。

353 さて、今から30年ほど前の水島臨海鉄道の様子。
場所が判然としないが水島だろうか。
気動車は国鉄キハ10を譲受したキハ353だ。

22 既出だが札幌でのキハ22。
北海道の気動車は急行型と一般型の設備上の差異が少なく、長距離を乗っても十分快適だった。

20_6 国鉄高砂線を行くキハ20の2連。
朱色の一色塗りだが、この塗装もまたよく似合っていた。

20_7 二俣線におけるキハ20の4両編成。
先頭は国鉄標準色で、キハ20に最も似合うのはやはりこの色・・というのは僕の世代を表しているのかも知れない。

2012年4月 8日 (日)

昭和57年4月、名鉄撮影行

国鉄がJRになってその姿を大きく変えたのは読者諸兄のご存知の通りだが、それ以上に、名は変えないまでも大きく変貌した鉄道が名鉄=名古屋鉄道だ。
ローカル線の大半を廃止、ゆったりとした座席が特徴だった一般列車を、首都圏の通勤電車のようなロングシートに変え、前面展望が売り物だった特急列車のイメージを大きく変化させた。
その良し悪しはここで論じるべきものではないが、あまりにも劇的な変化は、それまでの我々のような遠方からの鉄道ファンの足を遠ざける結果になっていることだけは疑いようがなかろう。
もっとも、そのことが会社の経営に与える影響はほとんどないのであろうけれど・・

今回は昭和57年4月14日・15日に名鉄を訪問した記録からだ、
既出のものもあるがご容赦願いたい。

809 まずは名古屋本線の豊橋寄り、本宿付近における様子。
800形809単行による荷物電車。
この809は正面窓の押さえこそアルミ化されているが、原型の好ましいスタイルを保っていてくれたクルマだ。

7000 白帯7000系による岐阜行き特急。
パノラマカーは赤一色も似合うけれど、白帯を纏った姿もなかなか捨てがたい魅力を持っていた。

7000_2 豊橋行きの特急も7000系白帯。
この当時の名鉄のデザインセンスは並外れていたのではないだろうか。

7500 7500系の高速が踏切を通過する。
7000系を上回る高性能車だった7500系だが、その性能は結局は発揮いされず終いだった。
白帯に改装された編成はなく、最後まで「高速」「急行」として走ってくれた。

7700 7700系の特急が本宿駅を通過する。
この系列は増結専門だったから、前は7000系白帯だろうか。

6000 6000系の急行岐阜行き。
上記の7700系とおなじ雰囲気を持っている。
優しい曲面で構成された名鉄デザインだ。

5000 5000系の高速岐阜行き。
高速は特急の自由席版として登場したが、この列車種別は5000系によく似合った。

3901 新岐阜手前の単線区間を行く3800系3901ほかの普通電車。
戦後復興の象徴だった3800系もこの頃では既にローカル輸送に甘んじるしかない。

Photo おなじ場所の美合行高速7000系。
この単線区間は今も残るが、撮影に都合のよい歩道橋は撤去されてしまった。

522 岐阜駅前の忠節行急行522ほか。
当時ですら日本最古級の木造・半円形・転換クロス電車が市内に乗り入れていた。

558 新岐阜における長良北町行き558。
道幅が狭いこの路線には、金沢から移籍した電車が使われていた。

2326 忠節駅に停車していたのは「急行」の看板をつけた2326ほか。
揖斐線急行は510・520形の半円形電車が中心だったが、このときは臨時便として普段は各駅停車に使われる電車も「急行」の看板をつけていた。
ただし、ホイールベースが長いのか、510形ほどのスピード感は味わえなかった。

722 黒野駅に留置されるのは瀬戸電出身の722号。
決して乗客は少なくなかったと思うし、だからこそ日中でも急行と普通が毎時2本ずつ走っていたはずなのだが、廃止は意外にあっさりと行われてしまった感がある。

525751 黒野駅に停車中の525と751。
瀬戸電、美濃電の出自であるクルマが出会うのは古めかしい駅だ。

511 511ほかの急行新岐阜行き。
活発だったこの路線を思い返すとき、名鉄の交通事業者としての責任を思ってしまう。

523 最後は谷汲行き臨時急行「いこいの森」号523ほかだ。

2012年4月 2日 (月)

お盆の国鉄高砂工場

旧盆の時期は国鉄は使える旅客車のすべてを営業線に送り出す。
これは年末年始でも同じで、増発、増結に出来る限り対処するために、そういう態勢をとっていたのだろう。

ただし、長期在場が必要な更新車や改造車は別だ。

Photoそのお盆の頃の高砂工場の様子。
グラウンドから木工建屋などを見た様子。
コンクリートの煙突が国鉄高砂工場のもので、赤白の塗装が施されたものは隣の神戸製鋼のものだ。

37 マニの廃車体。
荷物輸送からの撤退が為されて、不要になったマニが多数、廃車のために留置されている様子。

35 入場前待機のキハ35。
通勤列車などの車両は優等列車の増発や増結とは関係がないために、普通のサイクルで入場してくる。

26廃車のために解体されているキハ26。
当時の廃車解体は今のように一気にユンボで潰すことなどせず、使えるものを保管する必要からわりに丁寧に為されていた。

26_2 そのキハ26車内。
化粧板を外した外板に吹き付けられているのは、アスベストだ。
今では考えられない危険な構造だったことがわかる。

35_2 入場前作業場のキハ35、オハ35、マニ50だろうか。
これらも通常のサイクルで運用される車両たちだ。

Photo_2 旅客車主棟建屋内の様子。
キロ28の更新修繕車だけがぽつんと置かれている。

A 主棟北側、この先がAスパンと呼ばれる建屋内のトラバーサがあったその手前付近。
この時期には使われない仮台車が集められている。

A_2 棟内トラバーサ、Aスパンの様子。
工場存続を目指して行われた大改造工事だったが、いくらも使わないうちに工場そのものが廃止されてしまった。

Photo_3 車両のいない塗装職場。
この場所に車両が一両もいないのは、盆と年末年始くらいだっただろう。

Photo_4 車両のいない出場トラバーサ。
普段ならここには新車のような輝きを放つクルマが多数並んでいたはずだ。

Photo_5 工場内で使われる工具運搬用のバッテリーカー。
当時既に環境に配慮していたことの表れか・・

2012年3月23日 (金)

南海「サザン」登場の頃・・緑の「サザン」

南海電鉄の特急列車については以前の2回のエントリーも参照していただきたい。
南海線特急四国号1001系から現在の南海特急を見る
あの頃の南海電車

さて、昭和60年、南海本線に「四国」号に代わって「サザン」がデビューした頃のネガが出てきた。
プリントやポジなら変色も少なく、安心して見ていただけるのだが、ネガフィルムで30年近い年月を経たものとなると、どうにもネガの劣化が避けられず、画像処理ソフトで何とか見ていただくに耐えるとまでは行かないまでも、それなりに写真らしく復元も出来たので今回はこれを見ていただこうと思う。

場所は鳥取ノ荘・箱作間か・・

00 まずはデビューしたばかりの「サザン」難波行き。

当初、1001系一本を廃車し、これの電動車の機器類を使って2連4編成が用意された。
下回りは1001系更新の際に改造されたもので、7001系と共通であり、今に至るも7001系、7101系と編成を組んでいる。

007001 7101系トップナンバーの急行、難波行。
この頃既に製造20年を経たベテラン電車だった。
今も健在なのは驚くばかりだ。

008000 1001系の代替として登場した、南海本線では始めてのステンレスカー、9000系。
関東の電車風に見えるが、側扉や窓の配置は関西型の4ドア車だ。
緑の帯は改めてみると、落ち着いていて還って新鮮味がある。

0010903 通過する難波行き「サザン」。
塗装一つで電車の品位がこれほどに出るものかと・・これはあくまでも個人的感想。
だが、南海にはやはり、緑のイメージが欲しいと思うのは僕だけではないだろう。

0010902 和歌山港行の「サザン」。
1001系の頃は座席指定料金を支払わなくてもクロスシートに座れた。
「サザン」では指定席はリクライニングシートになってデラックス化されたが、自由席は急行とおなじロングシートになった。

Photo この後、1001系の廃車とそれの機器の使用により「サザン」10000系がさらに増備され、今では自由席・指定席ともに4両が基本になっている。
Photo_2 自由席の車両はずっとこの当時のままの7001系、7101系だったが、昨年、久しぶりに製造された「サザン」新型電車はその連結相手の自由席も新型となり、30年以上ぶりに新しい組み合わせになったけれども、列車の風格という点では今の「サザン」より、登場当時の緑色の「サザン」のほうが上だったように思えるのは・・これもあくまでも個人的感想である。

2012年3月15日 (木)

昭和51年、阪和線天王寺駅。

今では特急列車や大半の快速列車の発着もかつての関西線ホームとなった阪和線天王寺だが、昭和50年代、まだまだ行き止まり式のホームが私鉄ターミナルのごとき雰囲気を醸し出していた。
関西の私鉄ターミナルと言えば、阪急や阪神の梅田、南海の難波、近鉄の上本町、阿倍野といった広大な頭端式ホームが主流で、阪和線も環状線や関西線より一段高いところにある私鉄風のターミナルだ。

これは、この路線が阪和電鉄と言うかつての大手私鉄からスタートしたことによるもので、昭和初期の高速電車の大流行当時の作品でもある。

ただ、阪和線には長距離を行く特急・急行も多く走っていて、私鉄風のターミナルと上野駅風の長距離列車発着駅という双方の顔を見せる駅でもある。

70 まずは大屋根の下に停車する区間快速70系電車。
この大屋根は現在も健在だ。

70_2 発車前の70系。
当時、区間快速が4両編成だったこともあり、阪和線では最も混む列車種別だった。

113_2 行き止まりのクルマ止めの向こうには快速電車113系が停車している。
新快速にはヘッドマークがついたが快速運用のときはヘッドマークを折りたためばただの青い板になる。

10370 ホームの様子。
103系と並ぶ70系。
この当時、基本的に快速・新快速は113系ブルーライナー、区間快速が70系、普通が72系や60系の旧型電車と当時新車だった103系と運用が半ば固定化されていた。

60 発車を待つ旧型電車。
60系と呼ばれるシリーズで、戦後に阪和線に転入してきた。
こちらはシルやヘッダのある初期型。
雨の風情がまた格別でもある。

60_2 そのおなじ電車の反対側。
ノーシル、ノーヘッダ、半流線型の戦前最高峰のデザイン。
張り上げ屋根が普通屋根になり、前面窓がHゴムになっているが、幌もつき、面影は十分だ。

55 クハ55。
中間にクラシカルなクハ55が連結されていた。

60_3 旧型電車の車内。
既に新性能化が完了していた南海本線に比べると、どうにも古臭いイメージは免れなかった。

113 新快速113系。
京阪神新快速は153系だったが、阪和線には転用された113系が使われた。
ブルーライナー塗装だったが、後にはレッドライナー塗装も使われた。
停車駅は新快速は鳳のみ、快速は堺市、鳳、和泉府中、熊取、和泉砂川で、新快速は阪和間45分、快速は52分だった。
いずれも日中60分ヘッドの運行、区間快速は鳳から先が各駅停車で、こちらは30分ヘッド、考えれば今の阪和線はこの倍以上の列車本数になっている。

81 特急・急行ホームに停車するキハ81「くろしお」
「くろしお」のうち、2往復にはキハ81が使われていた。
食堂車もつき、名古屋まで紀勢線をロングランする列車だった。

81_2 キハ81が停車するホームの風景。
「阪和ライナー」も消え、格別なホームを印象付けたこのホームの風情は失われてしまった。

Photo こちらは最近の阪和線天王寺駅。
当時と変わらぬ103系が生き残り、大屋根の下に停車している。

Photo_2 そして、先ごろ引退した113系のブルーライナー塗装、和歌山駅にて。
なお、おなじ113系だが電車は当時のものとは変わっていた。

2012年3月 3日 (土)

阪急三宮有情

神戸三宮のそのシンボルでもあり神戸市民の誇りの象徴でもあったのが阪神電車の三宮駅ビルである「神戸そごう」と、阪急電車の駅ビル「阪急会館」だった。
「神戸そごう」はかの阪神大震災でもかろうじて持ちこたえ、大規模な修繕を経て今も健在であるが、もう一方の「阪急会館」はその姿なく、震災16年を経て今もなお、仮設のままだ。

その阪急会館、阪急三宮駅ビルの夜景の写真を見ていただこう。
なお、フィルムはISO3200のコニカGX3200、カメラはニコンFE2あたりで、絞り優先、35ミリレンズ1.4開放だ。
これでシャッター速度はようやく60分の1秒くらいだろうか。
粒子が荒く見えずらいこと、電車のブレを補正できていないこと、レンズが開放で光源が滲むことなどご承知いただきたい。

撮影時期は僕が阪急六甲で写真の仕事をしていた頃だから今からざっと20年ほど前のことか・・
平成になったばかりの頃だと思う。

006000 JR三ノ宮駅ホームから見た6000系電車の様子。
電車が通過するガードの下を神戸最大のメインストリート、フラワーロードが走る。

006014 その6000系普通電車が駅ビルを出る様子。
かつての阪急梅田と共通のイメージ、アーチ型の電車入り口が阪急のモダニズムを感じさせる。

003026 こちらは3000系3076の特急。
更新され気を吐いて活躍していた頃の3000系。

005057 三宮駅中線に停車する5000系の普通電車。
駅ビルは取り壊されたが、駅設備そのものは今も当時のものが受け継がれて使われている。

00 駅舎一階のコンコースの様子。今でこそ待ち合わせ場所は数あれど、この駅のコンコース、映画館の前、宣伝用のテレビのあるあたりは恋人たちの待ち合わせに使われた。
かくいう僕も、ここで女の子と待ち合わせ、青春の気恥ずかしいような思い出のある場所でもある。

00_2 フラワーロードを渡るのは新進の6000系か・・
この町の賑わいこそが、神戸三宮だ。

00_3 駅舎の外観。
神戸の町と阪急のイメージがこれほどに具現化された建物はほかになかった。

阪神淡路大震災でこの駅ビルは無残な姿を晒して、それでも倒壊はせずに耐えていた。
だが、その被害はあまりにも大きく、鉄道の再開を急がねばならぬ事情もあり、復旧するよりも解体されることになり、震災2ヵ月後にはその姿を消していた。
このあたりの事情は、建物の復旧工事をしながらでも電車の営業が通常に出来ていた阪神三宮駅とは違うものだろう。

ようやく三宮に阪急電車が帰ってきたその頃、モダンな神戸の、最もモダンな建物であったにもかかわらず、急いで開通させた阪急電車三宮駅の仮設コンコース周辺は板囲いばかりで、なぜか悪臭の漂うものだった。

そして、仮設の約束でとりあえず造られたこじんまりとした駅舎は、震災17年を経ても仮設とは思わさぬほどに風景の中に溶け込んで今も現存している。

00_4 写真が数日前の阪急三宮駅の様子。

ハーバーランドから百貨店を撤退させる阪急だが、この会社にとって三宮は格別な意味のあるところでもあり、いずれはここに新しい時代の阪急のシンボルが出来るものと期待はしているが、それにはこの場所の駅機能を地下に移して、神戸市営地下鉄との相互直通運転を実施するのが前提だと言わんばかりの状況。
阪急の気持ちはわかるし、そうなって欲しい思いもあるが、三宮の風景に阪急がないのは考えられない・・
それが神戸市民の想いでもあると、阪急には知って欲しい。

けれど、渋谷から地下に移る東急の風景が消えるのと同様に、三宮から阪急の風景が消える日もあるかもしれない。

2012年2月26日 (日)

国鉄鷹取工場、昭和53年8月。

国鉄鷹取工場でのネガフィルムが出てきた。
すでに拙ウェブサイト「こうワールド」の「国鉄高砂工場」内で既出のものもあるが、改めてスキャンしてみていただこうと思う。

撮影日は昭和53年8月19日とある。
終業後の鷹取工場内をコンパクトカメラ「オリンパス35ED」を隠し持っての撮影だった。

なお、鉄道ファン諸氏には一部ショッキングな写真が含まれること、ご承知いただきたい。

Dd13 入場建屋にDD13が留め置かれている。
全国何処でも見られた小型の入換機だが、入換用のわりにはブレーキの効きが悪く、蒸気機関車でも入換用に使いやすい9600形が長く活躍する結果となった由。

2 入換用の機関車と言うより、国鉄部内では「機械」。
一部は工場でも自作していた。
これは入換のためにここに居るのか、それとも全般検査のために居るのか、ちょっと不明。

Dd51 ディーゼル機関車のエンジン。
こちらはDD51のものだろうか。
DML61系のエンジンが二つ並んでいる。

Dd54 こちらはDD54のもの。
V型16気筒DMP86だ。
このエンジンは鷹取工場で集中整備されていて、精密なエンジンの分解、組み立てができる設備があった。

Dd541 そのDD54の廃車解体の様子。機関車の廃車はまず、車体の箱を外して、主要機器を取り外さなくてはならない。まだ、まっさらのような機関車の解体・・
当時、廃車解体は主に定年退職された先輩たちが勤めていた下請け会社の仕事だったが、その方々の心中や如何に・・

Dd542 そのDD54サイドビュー。
前にあるのがSG(蒸気発生装置)その後ろがエンジンだ。

De10 こちらはDE11か?
事故で廃車になった機関車。
調べると、この年の6月1日に吹田操車場内で事故があり、その被災車両ではないだろうか。

103 冷房改造に入場したクハ103。
この当時、山手線ATC化工事のために、京阪神緩行用に作った編成の両側TcをATC装備させ、山手線に投入、京阪神緩行線には新車の中間車と、東京から流れてきた先頭車が組み合わされて投入と言うことになった。

このクルマも南シナの標記がある。

111 こちらも冷房改造工事に入場している113系電車。
レッドライナーかブルーライナーか判別がつかないが、ブルーライナーの車両を見た記憶はないから関西線の快速用だろうか。
鷹取工場は機関車、貨車を中心とする工場で、当時、受け持ちの電車はなかったが、冷房改造が忙しい時代、電車職場を立ち上げて103系113系の冷房改造工事にいそしんでいた頃だ。

Photo 鉄道学園鷹取分所の実習用機関車、「若鷹号」。
元々、四国の阿波鉄道の古典機関車だが、分所の前身「鷹取技能者養成所」の実習用に改造されている。
分解、整備、組み立て、試運転を繰り返したと言うが、この頃では分所のシンボル的存在だった。なお、今は嵯峨野観光鉄道で保存されており、ぜひ一度しっかりと実情を見てみたいと思っている。

Photo_2 鉄道学園寮からみた鷹取工場の風景。
左の新しい建物が食堂、正面左の大きな建物が機関車職場、右手なにやら溶鉱炉のようなものが見えるのは鋳物職場だ。

このあたりは今、まったく新しい町に変貌していて、もはや記憶の中でしか追えない光景でもある。