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2016年9月28日 (水)

秋のドライブ鉄散歩、加古川・加西。

昭和63年だったと思う。
国鉄を退職、阪急六甲の写真スタジオに弟子入りして、休みの日にふらりとクルマでドライブに出かけた。しかし、そのクルマはまもなく手放し、以後は僕は結婚するまで自家用車を持たない身になったその前の写真だ。
(この頃の写真は他にもいくつかあるので機会を見て出していきたい)

 

2000b_2

さて、最初に行った場所は加古川河畔、それも南端の山陽電鉄橋梁だ。
3050系ニューアルミカーが川の中ほどで、2000系トップナンバー編成と出会う。

 

20003078_2

三菱製紙の煙突が印象的な、ススキ、セイタカアワダチソウ、ヨシからなる秋の河原だ。

2000c

2000Fの編成が見渡せる。
まもなく引退する2000系が最後の踏ん張りを見せていた。

2011

尾上の松方向から2011がやってくる。
ステンレス無塗装、2ドアという特徴的な車体だ。

2010

その編成、2010Fの後追い。
ステンレス無塗装のコルゲート付き2ドア車体はサロ153のほかにはあまり例がなく、こうして見るとやはり美しい。

僕は個人的には過去現在を通して、山陽が作り上げた電車の中で最も美しい電車であると思っている。

3012

旧塗装の3012F。

3028

こちら3028・・当時は3550形を挟み4連だった。

3050

3050系、新旧塗装が出会う。

30503000

こちら、3000系と3050系、新旧塗装の出会い。

3050_2

その3050系、旧塗装編成が去る。

3051

3051号とセイタカアワダチソウ。

3554

こちら新塗装だが2000系改造編入の3554号。

5012

まっさらの5012F、相次ぐ5000系の大量増備で釣りかけ車を一気に置き換えたところ。

5603

こちら後追いの5603号。

すこし北へ歩き、新幹線の線路を眺める。

Tec0

折よく0系先頭車のサイドビュー。
しかも、すでに珍しくなりつつあった大窓車だ。

Tec0_2

その編成、長い16連が下っていく。
「ひかり」だろうか。

Tec100

100系がやってきた。
当時、新車だった100系が来ると嬉しかったものだ。

Tec100_2

100系中間の食堂車とグリーン車。

1985

このあと、クルマを北へ走らせた。
晩秋の播州といえば語呂がよいが、なんとなく悲しい気分の作画になった。
向かった先は北条鉄道だ。

播磨横田駅。

Photo

網引駅の線路。
三セク化されたばかりの北条鉄道は今とは違い、ひっそりとしていた。

19851

網引付近のレールバス、フラワ1985-1。

19851b

雨の少ない播州だが、秋は天候不順なことが多い。

1985_4

法華口に入っていくレールバス、ラッシュ時に差し掛かり2連になっている。

1985_2

法華口に停車する2連のレールバス。
この当時の法華口は今にも崩れそうな駅舎、如何にもローカル線の悲哀を感じさせるものだった。

1985_5

発車していくレールバス・・
通勤の高校生が歩く。
このローカル線風情あふれる・・しかし、先が見込めなさそうな景色を大変革した今の北条鉄道から学ぶものは多い。

1985_6

すっかり日暮れた田園風景の中、ヘッドライトを灯して2連のレールバスがやってくる。
今の華やかさなどおよそ想像もできなかったころである。

(eoブログから新規の加入を中止する旨発表がありました。本ブログもまた・・行先を考えねばならないかもです)

2016年9月 8日 (木)

JR化後の福知山線、道場にて

武田尾という稀有な撮影地であり、また休日を楽しむ場所でもあった武田尾付近の名所を失ってから・・

それでも僕らはその車両の面白さに福知山線へ通い続けたが、どうも武田尾のような定点とはならなかった。

今回は三田・道場付近を取り上げる。
撮影は207系が写っているから平成5年以降、平成7年ごろではないだろうか。

H7207_2

まず、三田付近にて、いまだ4連の207系、東西線直通はもう少し先のことだ。

H7

エーデル北近畿、キハ65の改造車で急行型から特急への格上げだ。

H72

こちらは「エーデル北近畿」の5連。

H7_2

キハ28・58も最後の活躍をしていた。

電化の際に改めて設定された急行「みやづ」、宮福線直通列車で2連だった。

H765183

道場付近で・・「エーデル丹後」が183系の後尾についている様子。
エーデルシリーズ最初の改造で、客室窓割が大きく変更されたのが目立つ。

H765

「エーデル北近畿」、5連だが中間にキハ58が挿入されている。

H765_2

こちらも183系の後尾についているキハ65「エーデル丹後」

H765_3

こちらも「北近畿」183系の後尾のキハ65「エーデル北近畿」

H7103

道場手前の山間を行く黄色の103系。電化完成により大増発を遂げた普通電車だが、当初の6連からこの当時は4連に減車されていた。

H7103b

下り103系普通電車が接近する。

H7103c

こちらは上り電車、これら103系は事故廃車になった1両を除けば今、大阪環状線で最後の活躍をしている。

H7117100

117系、ブルーライナー、レッドライナーに続き、福知山線は緑の帯を締めた117系が快速として活躍。

H7117100b

福知山線快速は基本117系の6連での運用だった。

H7117100_2

セミクロス改造された117系だが、この線区には似合っていたように思う。

H7117

117系電車のサイド。緑の沿線に良く似合う。

H7113

こちら、113系、当初の強烈な黄色塗装から、ずいぶん穏やかな色合いに変わっていた。

H7183

紀勢線投入485系を再改造した183系、よく見ると後ろにキハ65をつないだ編成のようだ。

H718365

こちらも183系と後ろにキハ65。。。

H7207_3

そして207系。

質実剛健の国鉄通勤型との大きな差を感じた新車だった。

2015381

昨年、久々に道場駅付近を訪れたが、久々すぎて昔に撮影した場所がわからず、駅のすぐ近くで撮影した。

置き換え直前の381系電車・・183系を置き換えるために一時的に紀勢線から転属してきていたものだ。

2015223207

223系丹波路快速と207系の普通電車の出会い。

主役は完全に変わってしまった。

2016年8月14日 (日)

長崎の夏は暑かった。

今からちょうど30年前、国鉄を退職前提の休職としていた夏、九州への旅をした。
今の夏とさして変わらない猛烈な暑さの夏、とりわけ長崎はとにかく暑かった。(ただ、この旅行で、僕がどういうルートを取ったかが記憶にない。すでに愛用の夜行急行は全廃のあと、アルバムには芸備線のあとにいきなり甘木線、そして長崎が写っていて、さて・・新幹線で九州入りしたのだろうか)

なお、長崎の「冬」はこちら

撮影後30年、撮影場所の記憶もほとんどなく、場所など、お分かりの方にはご教示いただきたいと思う。
(撮影場所について、地元におられたnumber8さんにコメント欄でご教示いただきました。
本文中で訂正させていただきますとともに謹んでお礼申し上げます。)

86208


208号、西浜町あたりか・・
(賑橋とのことです・・以下、括弧内はご教示いただいた正しい撮影場所です)

86214


214号、電停で降りて道を渡ろうとする人たちの雰囲気が猛暑を物語る。
(築町)

86215


215号、大浦付近か。
(出島)

86215_2


その215号、電停での様子。

86302


302号、真っ青な空の下、思案橋。

86304


蛍茶屋、304号。

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西浜町あたりか、306号。

(築町)

86306_2


同じく306号、場所はどこだろう。。。
(長崎大学前)

86309


蛍茶屋の近くか、309号。

86365


新大工町365号。

(昭和町とのことです)

86505


長崎大学前、505号。

見るからに暑そうだ。

86508


夕方になると少しは涼しくなったのだろうか。長崎駅前、508号。

86704


東京からやってきた704号。これも場所はどこだろう。(公会堂前)

86704_2


その704、別の角度で。

861051


仙台から来た1051号、番号の附番が仙台→千台、51年に入線ということで決まったとか。。(長崎駅前)

861202


軽快電車の車体に旧車流用の足回りを付けたのが1200形、1202号。
(昭和町通り)

861202_2


1202号の俯瞰、新大工町。

(昭和町通り)

861204


1204号。(昭和町通り)

861205


1205号。(長崎大学前)

862001


長崎駅前、2001号。

国の政策転換で日本の工業力の粋を集めた軽快電車、今のLRTのはしり・・だ。

この当時、僕はかなりの頻度で長崎を訪問していた。

それは長崎の電車が魅力的だったことと、夜行急行「雲仙・西海」の存在が大きかったからだ。

夜行急行が廃止されたこの時、僕は新幹線で九州入りしたのだろうか。
僕はこのあと、27年ほど九州には行っていないということになる。そして、長崎には未だに再訪できていない。

今の僕にとって長崎は遠い。

さて、この年だったか、春先の長崎で撮影したモノクロ写真を参考に挙げる。

155


155号、木造車で当時朝ラッシュ時のみ走っていた。
車内には電鈴の紐がむき出しで見えていて車掌が乗務していたように思う。
(長崎駅前)

1054


1054号、仙台からやってきて間もない時のものだが、今、この車両はシドニーで保存されていると聞く。(長崎駅前)

2001


導入されたばかりの軽快電車2001号。

浦上付近にて。(大橋)

この車両は最近、引退したと聞く。
僕が長崎を訪ねたのがそれだけ「昔」になってしまったということか。

Photo


最後に、長崎の夏…ほとんど撮影の記憶がないが。あの猛烈な暑さだけは体に残っている。
夏を迎えるたびに、またあの長崎へ行きたいと思うのだが。

2016年7月22日 (金)

35∼40年前の宝殿駅付近

はじめに:
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前回に引き続き、今度は加古川の一つ西にある山陽本線宝殿駅だ。
宝殿についても過去に何度も取り上げている。
宝殿駅」「宝殿駅西、法華山谷川付近」「宝殿駅、留置車両と列車たち
宝殿駅周辺の列車たち」「宝殿駅周辺での電気機関車たち

なお、架線の支持がワイヤー式になっている写真がある。この辺りの電化工事で試験採用された架線支持方法らしいが、のちに通常の形に改められている。

まずは当時憧れの電気機関車、EF66の雄姿から。

Ef669

留置中のワムの横を通過するEF66 9、この頃、この辺りには特に注意書きの札もなく、自由に地元の人も立ち入っていた。

今とは鉄道や住民の意識が大きく異なっていること、ご理解いただきたい。

なお、留置線の外から望遠での撮影、一部の構内での撮影は、仕事で留置車両に用があり、その時に撮影したものもある。

Ef6615


曽根駅との間の法華山谷川を通過するEF66 15。

Ef6623


宝殿駅構内、通過するEF66 23。

Ef6626


宝殿駅、東側にある歩行者用の踏切をいく、EF66 26。
この踏切は今も存在する。

Ef66901


ロクロク試作機、EF66 901、今回、このテーマでネガを探していて見つけたカット、自分でも撮っているとは思わなかった。

Ef5848


ここからEF58、特急列車としてブルートレインを牽引する雄姿もよかったが、荷物を牽く姿も渋くて格好良く思えたものだ。
EF58 48。

Ef5880


EF58 80、今、走っていれば大騒ぎになるだろう機関車だが、当時はしょっちゅう見ることができたものだ。
法華山谷川付近で。

Ef58155


EF58 155、構内を行く。

Ef58


早朝、特急列車が上っていく。当時の僕のカメラ、フィルムのレベルでは夜明け前といえばこの程度の写真しか撮れなかったか・・

Ef6042


EF60・・
駅東側の歩行者用踏切から。
EF60 42がヨ1両を引き連れ、上っていく。

Ef6042_2


その後ろ姿、なんとも寂しい写真になった。

Ef60104


EF60 104サイド。

Ef651001


こちら高速貨物を牽引するEF65 1001、この機関車も、自分が撮影していることを忘れていて、今回、ネガを見つけ非常に驚いた。

153


電車・気動車たち・・

153系新快速。

1132000


113系2000番台、従来の113系に比してすっきりした外観デザインが美しかった。

117

117系、ワムの横を通過。

117_2


下り新快速117系後追い。

82


キハ82「はまかぜ」サイド。

58


キハ28・58系の急行列車。

117_3


留置中のマニの横を通過する新快速。

81


高砂工場で改造した81系お座敷客車。

宝殿駅に停車中。

124


高砂工場への配給列車、オハネフ12 4がゆっくりと進む。

342005


その前方にはマヤ34 2004が。

Photo


最後に・・

通過していく荷物列車。
比較的変化の少ない宝殿あたりと思われがちだが、どの写真も撮影はおろか、もはや見ることもできない風景や列車でもある。

2016年6月30日 (木)

35∼40年前の加古川付近。

今回と次回で加古川・宝殿あたりの写真を見ていただこうと思う。

山陽本線のこの付近は僕にとって鉄道趣味を始めた原点ともいえる場所であり、これまでにも何度か本ブログには出している。
今回も、既出の写真もあるが、データはすべて再スキャンし改めて画像処理による復元作業を行った。

今回は加古川駅前後のあたりの写真だ。

過去ログは以下の通り。

加古川市野口町、山陽本線昭和58年・春「サロンカーなにわ」ほか
今、あらためて加古川駅
加古川駅

加古川駅から東へ約1キロ、当時そのあたりは田んぼが広がっていて、列車の撮影には好適な場所だった。

Ef65132

ずらりと並んだワム80000を牽引するEF65132・・

今のEF210と同じように、当時のロクゴはそれこそ、いくらでもやってくる撮影意欲のあまり湧かない機関車だった。

Photo_2

ワムの並んだ様子・・

フイルム代、現像代に悩んでいた僕がこういう写真を撮影するのは珍しい。

Ef66

EF66のサイド。

この機関車は正面から見るよりこういう角度のほうが男っぽく見える。

113

113系快速電車の連結部分。
よく見ると前後でタイプが異なる。

原型タイプとユニット窓・シールドビームが特徴の300台か。

111

その電車の最後尾。

夏場だと思うが、車掌氏は上着を着用している、初夏のころだろうか。

28

キハ28・58系の急行列車。

ドア横には「指定席」の札が・・

道理でこの車両が外から見ても空いているように見えるわけだ。

117

117系新快速。

この日、なぜかここでは列車の頭の流し撮りばかりしていたようだ。

Photo_3

加古川駅構内、これまでも何度もブログに出しているが、今回、北口を撮影したネガが見つかった。

キハユニ15、3号車が一緒に写る。

Photo_4

キハユニ15 3の様子。

当時、加古川気動車には3・6・9の3両のキハユニ15がいて、この3は正面窓の補修が独特の雰囲気、そしてサイドの客車窓とともに、異色の存在だった。

Ef65eh10

加古川橋梁。

加古川橋梁もこれまでに何度も出している。

まずはEF65牽引のコンテナ列車と、EH10の出会い。

Eh10

非常にゆっくり走っていたEH10の後ろには巨大な貨車が巨大な物体を載せている。

僕がこれまでに見た大物車シキの中でもこれだけ大きなものは、この時だけではないだろうか。(操重車、ソのようです。ご指摘ありがとうございました)

Eh10_2

こちらはEH10初期型。

パンタグラフが中央寄りになっているのが特徴。

Ef58

EF58が荷物列車をけん引していく。

次位にあるのはスニ44か。。

83

クモニ83が単行で走っていく。

多分、ツリカケの音を心地よく撒きなが走っていったのだろう・・すべては記憶の中だ。

2016年6月11日 (土)

昭和58年、南海電車大和川あたり

夏の暑い日だったと思う。

なぜにここを訪問したかは覚えていないが、その日の暑さだけは記憶にある。
今回は主に高野線、阪堺線だ。
(なお、前にも書いたが本ブログでは南海電鉄の車両で高野線6201系までの系列については、末尾の数時1の系列名を、本線10000系以降の系列については末尾の数字を0にした系列名を採用している。また今回、サザンの10000系車両は登場しない)

6001


当時の主力、6001系。
ステンレス無地の車体が今となっては神々しくさえ感じる。
バッド社の技術では南海独特の柔らかいデザインは難しかったようだが、メーカー、鉄道会社の努力で見事に形になった好例。
美しく、上質な電車だ。

6101


6101系、今、6300系と名を変えて健在だ。

側面の下降窓が新しい時代を感じさせる。

6114


6101系、6114のサイドビュー。

なぜに今の南海はあんな派手な意匠を、このような美しい車両に施すのか・・疑問ではある。

61016201


6101系と、当時の最新鋭、6201系が出会う。

この6201系は今、VVVF化とともに、大掛かりな更新工事を施され健在である。

220014


高野線急行用、22001系が行く。

この風格!

緑色の時代の南海は、阪急に勝るとも劣らぬ風格を持っていたといえば言いすぎか。

22008


22008サイド。

2ドアのスマートなデザイン、ただ、このころ高野線急行の混雑は激しかった。

220005


その編成の難波より、22005サイド。

これほど均整の取れた通勤車両というのはなかなか存在しない。

3000


泉北高速3000系、当時はまだ100系もいたと思うが、南海6201系に合わせた3000系も撮影していた。

今も健在だし、一部が南海に移って活躍している。

200013


当時の高野線のクイーンといえばこの電車、20001系だ。
列車は極楽橋への「こうや」号。

私鉄界最高峰のデラックス電車でありながら、一編成しか製造されず、長年、孤軍奮闘してきた名車といえる。

200012


その列車が接近する。
今のように高倍率のズームレンズは一般的ではなく、単焦点レンズのためにいったん決めたアングルからの脱却は難しい。

全景を撮影できないまま。。列車の接近を迎えた。

20001_2


サイドビュー、当時とてデザイン的には古さも感じさせたが、この雰囲気!

私鉄の華やかさを振りまいて、沿線乗客の羨望を集める。

20001_3


後部。

時刻表をきちんと読まず、それゆえ、中途半端となった一世一代のスターの姿。

だが、今となってはよくぞ撮影していたと当時の自分をほめたい。

6001


移動中、国道の橋梁から高野線6001系の姿を。

501
阪堺線モ501形、雲の意匠が印象的だったころ。

7001


南海本線7001系、1001系「四国」号のない南海本線は当時の僕にはもの足りない路線だったかもしれない。

高速道路と緑の電車の組み合わせ・・シンプルさがかえって都会のイメージだ。

2016年5月27日 (金)

雨の熊本駅前と、熊本市電訪問の記録。

昭和58年、春の旅行は西・南九州方面だったが、この時、ほんのひと時だけ熊本駅前で熊本市交通局=熊本市電の電車を眺めた。

この旅行唯一の雨、それも土砂降りで、雨に恐れをなした早々と退散したのが惜しまれるが、熊本市電にはこの前に一回訪問しているし、この後、何度か訪問することになるが、後半ではその時の写真も入れていきたい。

1207

1207号車がやってくる。

昭和53年に改造された日本の路面電車最初の冷房電車であり、特筆されるべき存在でもある。

1207_2

その電車は熊本駅前止だった

折り返しの準備をしているところ。

1207_3


発車していく。

8202


続いてやってきたのが当時の最新鋭、なんと日本最初のVVVF電車、8202号だ。

九州産交バスの雰囲気が懐かしい。

8202_2


大雨の中、8202号が接近する。

駅から南へ行った先の田崎橋行だ。

8202_3

止まぬ雨の中、その電車が折り返してきた。

8202_4

8202号が去っていく。

1095

1095号が土砂降りの向こうへ去っていく。

さて、初めて熊本へ行ったのは昭和54年、夜行急行「阿蘇」で先に熊本電鉄を訪問してからだった。

1205


なんとも田舎の中心都市駅前といった風情だった熊本駅前にて1205号。

1097こちら1097号。

1091

1091号、熊本市電は当時、ほとんどの電車の正面デザインを統一していたからあまり面白みはないように感じた。

しかも、同じ統一するのでも松山のような落ち着きがデザインからは感じられない。

今の洗練が嘘のような当時の姿だ。

1208


そして日本の路面電車、冷房化第一号、1208号。
今にも廃業しそうだった熊本市電はこの時、再生への一歩を踏み出していたと僕は思う。

こちらは昭和58年に訪問時のもの。

宿泊地熊本市内で、交通センターの近くだったと思う。

チェックインしてから路面電車の夜景を見て歩いた。

1083

1083号のサイドビュー。夜の路面電車にはなんと見えない開放感があり、僕は良く、宿泊した街の路面電車を夜に乗車している。

1205_2

1205号のサイドビュー、側面は各車それなりに変化があるのだ。

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花電車。

神戸や大阪の花電車を知る僕にとって、その花電車のイメージそのまんまの嬉しい電車だった。

2


この日は夏まつりか何かだったのだろうか。

電停で電車を待つ人たちも驚いて花電車を眺める。

8502


8502号、外観は日本最初のVVVF電車8200形と似ているが、旧車の部品を流用した形式だ。

熊本市電は少しずつ洗練されていく。

1201


3年前、ほんの少し、熊本市電を訪れることができた。

熊本駅前は凄まじい変貌ぶりで熊本市は大都会だった。

そしてあの頃のように1200形1201号。

9702

洗練された連接車、9702号。

今や熊本は広島・長崎・富山に次ぐ路面電車都市でもある。

1063

最後に、熊本城と1063号。

この度の大地震で市電も大きな被害を受けたと聞く。

市電はすでに前線復活していて、頼もしい限りだが、どうか熊本市民の方々の生活の復興、また、熊本城などの地域の象徴、そして南阿蘇鉄道や豊肥本線など鉄道路線の復興を心より祈る。

僕らもあの時、日本中から応援をいただいた。

「頑張ろう、熊本!」

2016年4月24日 (日)

南阿蘇鉄道を訪ねた日

この度の熊本・大分両県にわたる地震災害において、亡くなられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されたすべての皆様が一日も早く普段の生活に戻られますよう、深くご祈念申し上げます。
また、南阿蘇鉄道はじめ被災地の鉄道路線が一日も早く旧に復することができますようお祈り申し上げます。

昭和61年8月、すでに僕は国鉄は休職として、写真屋でアルバイトをしながら基礎を教えてもらっていて、なかなかまとまった休日を取るのは難しかったが、友人たちと九州への旅行に出た。
その時、広島→筑豊→長崎→島原と旅をして、熊本から大分に向かう途中に立ち寄ったのが「南阿蘇鉄道」だ。

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熊本を朝立って、立野へ向かう・・朝の急行に乗ったのか・・記憶が飛んでいて判然としないが熊本9:29「火の山1号」で向かったものと推察される。立野駅でのその急行列車。
立野での接続は非常によく、すぐに高森行きの軽快気動車に乗ったように思う。

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そのまま高森まで行った・・記憶はないのだが、今回、ポジを探し出してみるとしっかり高森駅が写っている。

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高森駅構内と思しき場所に停車しているMT2000形。2連で停車している。

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構内の2連を駅外からだろうか。

2


その反対側。

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トロッコ列車編成、当時、いまだ雑誌等に記事がなく、ただ、交通新聞あたりで情報を仕入れてここに来たように思う。
で・・国鉄の構内入換機が、堂々と旅客列車編成に使われているのに非常に驚いた。

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この日、次の「阿蘇白川」駅まで歩いたように記憶している。
距離としては4キロ弱、歩けない距離ではないのだが・・その「阿蘇白川」駅。

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ここでは喫茶店が営業中で、ピラフをいただいたように思う。
喫茶店の女性はとても素敵な方だった印象が残っている。
阿蘇白川駅のホーム側。

Photo_6


さて、多分、ここに行きつく前に撮影したのだろう。

トロッコ列車がやってきた。さきほどのDBに挟まれた編成だ。

さほど暑かった印象がない・・写真で見る限り、阿蘇高原の空気は涼しげだ。

B


トロッコ列車がゆく。

時速20キロほどだろうか・・恐ろしくゆっくりした列車だ。

C


今のように高倍率ズームなどない時代、短焦点レンズを付け替えても十分撮影できる速度だ。夏空の下、なんだか超越した感のある列車が遠くなっていく。

C_3


しばらくして、下り(つまりは登り)のトロッコ列車がやってきた。

今度は気動車を一番後ろにつないでいる。

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この列車も気動車が後押ししているとはいえ、低速だ。

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列車が視界から樹々の向こうに・・

このあと、阿蘇白川から列車に乗り高森へ・・
高森駅での写真はその時に撮影したのかもしれない。

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超越した時間を過ごした僕らは、やがて立野に帰ってきた。大分行きの急行列車までは時間がたっぷりあって、立野駅周辺でぼうっとしていた。
立野駅舎。

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立野駅に停車する南阿蘇鉄道の軽快気動車。

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国鉄の普通列車。

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阿蘇の外輪山を背景に、おとぎの国のような列車が目の前をゆっくり進んでいったあの風景はあれからちょうど30年がたった今でも忘れることができない。

どうかどうか、阿蘇の地の人々よ、災害なんかに負けず、踏ん張ってほしい。
そして愛すべき小さな鉄道もどうか旧に復することを!!

2016年4月13日 (水)

奇跡の急行型電車も!七尾線近郊型電車。

北陸新幹線開業後、一般的には「国鉄急行型電車」は絶滅したと思われていた。

しかし、何の運命のいたずらか、413系近郊型電車の七尾線投入に伴い、この系列と同じ扱いを受けてきた急行型457系のクハ455が2両、413系とともに七尾線に転属、絶滅したはずの急行型が奇跡的に生き残るという事態になっている。
今回はそのクハ455と、今現在の同僚ともいえる413系、そして一部が413系により置き換えられたといってもまだまだ健在の415系800番台の現状と過去を見てみたいと思う。

まず、七尾線といえば交流電化の北陸本線に接続しながら、直流で電化された路線であり、それゆえ、交直両用電車が必要になったわけだが、当時、全国からかき集めて運行された急行「きのくに」格上げによる増発特急「くろしお」へ転用→「くろしお」381系統一、福知山線電化用に再転用→特急「北近畿」運用となった485系の交流機器類を撤去、183系化したその機器を再利用、福知山線に走っていた初期113系を中心としたグループに交流機器を搭載、七尾線用415系と相成った次第。

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写真が2010年の七尾線415系800番台。

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この系列・番台区分の大半の車両が福知山線電化当初に各地からかき集めた113系初期型で、800番台を名乗っていた。

写真が福知山線登場当時の様子。

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この初期カラーリングは悪くはなかったと思うがすぐに変更されてしまった。

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つい先日訪問した、桜の咲く横山駅での415系800番台。

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車内、座席配置は113系とは大きく変わった。

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座席の様子。
シートピッチが大幅に拡大され、座席もよくなった。

しかし、これでは座席定員の減少が著しく、JR西日本ではこれ以降の近郊型リニューアルでは転換クロスが導入された。
転換クロスだと扉間に5列が確保され、七尾線の様式よりは座席定員の増加が図れる。

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こちらも桜咲く宝達駅での様子。

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夕刻の中津幡駅での415系800番台。
通勤時間帯には3連を二組6連でも走り、旺盛な需要にこたえる。

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さて、富山にいた413系は5編成が「あいの風とやま鉄道」に移管、残り6編成が七尾線へ転属してきた。
写真が「あいの風とやま鉄道」富山駅高架ホームに入線した413系。

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413系は国鉄がその末期にせめて車体だけでも新しい時代の近郊電車にしたいと、従来の急行型電車の古い車両を車体乗せ換えで登場させた車両だ。
国鉄時代の6連で走る様子。

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倶利伽羅に停車中の様子。

しかし、国鉄、その後のJR西日本の財政事情から、せっかくの更新系列も11編成を作ったところで終わってしまい、それは今までのこの系列のすべてになってしまった。

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七尾線では順次茜色と言われる地域一色塗装への変更が進んでいて、この色合い、この系列の電車にはとてもよく似合うように思うのだ。
桜咲く横山駅、跨線橋から413系を俯瞰・・屋根上のAU13クーラーがこの電車が元々は急行型であることを示している。

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横山駅で上下列車が並ぶ様子。

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北陸地域色、青色の編成もまだ一本、残っていた。

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413系電車の車内。

気動車のキハ47に似ているが、電車は気動車より車体長が1メートル短いので、ドア間のボックスシートは一組少なくなっている。
ドア横の風防がこの電車が寒冷地を走ることを示している。

クロスシートは471系などの座席をひじ掛けを撤去するなど改造したもの、ロングシートはこの電車登場直前の廃車発生品だが座席枠を近郊型の寸法にして取り付けている。

11編成すべてが松任工場による自作で、短期間によくもこれだけの品質のものを大量製造したものと、当時、国鉄工場にいた僕は思ったものだ。

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さて、こちら先だっての旅で訪れた七尾駅での413系の様子。この編成は2編成だけクハ455をTcに連結している編成だ。
クモハ413-4。

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そのクハ455-701、ホーム側から。
完全に過去のものになったはずの国鉄急行型電車がどっこい、しぶとく生きてくれたわけだ。

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編成全景。
急行型クハにあるはずの前位側戸袋窓がないし、写真反対側の運転台から数えて最初の窓は固定化されている。
これは、この電車がサハ455からの改造車だからだ。

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前頭部をサイドから。

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413系中間車、モハ412-4との連結部。

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車体中央部、車番とその付近。

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車内の様子。

急行型の特徴である出入り大仕切りは撤去され、ロングシートが延長、クロスシートの数が413系に揃えられている。

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クロスシート部分。
数が減らされても、やはりこの雰囲気は急行型独特のものだ。
荷棚や天井のAU13吹き出し口も国鉄急行型ゆえ。

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その座席、窓側のひじ掛けが急行型であったことを象徴する。
薄茶色の壁面は昭和40年代前半までの国鉄優等車両の証だ。
特急・新幹線もこの壁面だった。なお、座席間のテーブルは撤去されている。灰皿のビス跡が見当たらないから、禁煙化後に化粧板の張替が行われたのだろうが、化粧板の色合いを替えなかった工場の担当者に拍手。

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洗面所が残っていた。

普通列車用の車両としては全国唯一ではないだろうか。

つまり、特急や団体、波動用途以外の車両でこれがあるのはクハ455の残存2両のみということになる。

古き良き列車旅の余韻を今に残す車両でもあるわけだ。

昨年までの北陸線急行型電車は近郊型に適応した改造をいろいろな形で受けていた。

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これは出入り台仕切り撤去、半自動ドアに改造された更新車の車内。
車内化粧板も交換されている。

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こちらは車端部ロングシート化だけが施工された車内。
その部分以外は、ほとんど原形のままだ。

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クハ455を連結した編成が中津幡駅に入るところ。

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実はこのクハ455をつないだ413系編成を僕はこれまでもたびたび目撃している。そのころは急行型475・457系を追うのに必死で、413系の仲間になったクハ455には興味がわかなかったというのが正直なところ。
それでも撮影した写真から・・昨年冬の魚津駅。

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こちらは2011年の大聖寺駅にて。
今にして思えば、この時、もう少し編成状況が分かるように撮影していれば・・

このときはまさか、この車両が国鉄急行型最後の一般運用の2両になるとは思わなかった。

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それでも、編成のクハ455とモハ412の連結部は撮影していた。

ここで、少しだけ、かつての急行型の北陸路での在りし日の姿を・・

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大阪駅に停車中の急行「ゆのくに」。

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武生を発車する急行「立山」

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急行列車の運用間合いによる普通列車、倶利伽羅峠にて。

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倶利伽羅に停車中の普通列車、「タウントレイン」の看板を付けている。

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倶利伽羅峠にて下り普通列車。

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たぶん、その列車の後追い。

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奇跡的に、わずかに2両が生き残った国鉄急行型の末裔・・

どうか、一日でも長く生きてくれよと・・祈りながら、僕はこの電車に再会を期すのだ。

2016年3月30日 (水)

春のうた

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Facebookグループ、「国鉄・私鉄の思い出」では時に僕が「お題」を出して。参加されている方々の力作を投稿してもらっているが、桜の開花にちなんで「春鉄」のお題としたところ、いつもよりさらに盛況に、しかも、華やかな力作がそろうという素晴らしいことになった。

本ブログはこのグループの親元であり、ここでも「春」にちなんだ写真を出しで見ようと思う。

基本的に本ブログにおいては未公開の写真でまとめてみた。

2300

地元、山陽電鉄線、須磨浦公園での1991年の作品集から。

満開の桜の中、可愛い風貌の山陽2300系電車が行く。

7000

車番はわからないが、当時の状況から見て阪急7000系か・・桜の中に電車の頭が見えた。

7020

阪急7020F、当時の僕はソフトフォーカスが大好きで、しかも半逆光気味の写真作りが好きだった。女性ポートレートの手法だが、何も列車までそうしなくてもいいのにと今になれば思う。

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その阪急7020と阪神8219?が出会う。

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阪急7022F・・このころ、日曜日の阪急は普通列車のみの乗り入れだった。特急ということは平日の撮影だろうか。

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阪急7023F、こちらは普通列車での乗り入れとなっている・・

同じ日に撮影したはずなのだが・・

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満開の桜の先を阪神赤胴車がいく・・形式・番号は不明だが7001系あたりではなかろうか。

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阪神7111、やはり阪神といえばこの色合いとこの顔立ちだろう。

須磨浦公園駅で並ぶ阪急・阪神。

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阪急は7223、阪神は8229と読める。

3050

山陽3050系トップナンバー、3050F。

5000

山陽5000系トップナンバー、5000F。この頃、山陽5000系は6連が三編成できたばかりで3連・4連が基本だったと思う。

沿線小学校生徒の作品を中吊にした「クレヨン」号だ。

5002

こちらは5002F、看板は「潮干狩り」だ。

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5602、編成は5004Fのはずだ。

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桜の下を清々しいアルミ色の電車が走る。

5605だ。

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ちょっと違う場所の春の風景も。。

九州は遠賀川、直方市の筑豊電鉄線・・春というより早春の雰囲気だ。

菜の花畑の上を連接電車が走る。

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菜の花をアップにして、電車をぼかしてみた。

最近、なかなかこういう勇気が出ない。

Hot7000

智頭急行線開通まもないころ、恋山形付近でのHOT7000系気動車。こうしてみると、この気動車の先頭貫通バージョンは国鉄気動車特急の雰囲気を今に受け継いでいることが分かる。

103最近の撮影も・・

大阪環状線桜ノ宮駅の103系電車。

いよいよ103系にとって最後の春になるのかもしれない。

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阪急嵐山線松尾駅・・

専用車となった6300系が春を満喫しているように見える。

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須磨浦公園駅、3年ほど前の撮影だ。山陽5000系5603、6連化され直通特急で走る。まもなく夜桜の時間帯だ。

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最後に再び1991年の春へ・・

山陽3012F、姫路へ向けて去っていく・・

時は流れる・・毎年来る春も、限りある人生にとってはまた限りある出会いでもある。