記録によると、昭和55年1月22日が117系電車の運行初日だったようだ。
この日、平日だったが僕は年休を取り、友人とこの117系電車に乗りに行った。
既に前年の9月には落成していた電車だったが、全くの新系列と言うこともあり、そこからさまざまなテストや乗務員訓練などを経て、この日に運行開始となったものだ。
確か、記憶では大阪駅9時15分の姫路行き新快速電車がその記念すべき最初の列車だったはずだ。
大阪駅には報道各社も来ていて、国鉄がはじめて関西地区用にアレンジした新車への期待の大きさが伝わってくる。
その頃、阪急は名車6300系がそろい、十三・大宮ノンストップ、梅田・河原町38分運転。
京阪はこれまた名車3000系の時代で、清潔感溢れる車内にカラーテレビも備えた私鉄界最高のグレードを持つ特別料金不要の特急で、京橋・七条ノンストップ、淀屋橋・三条45分運転。
これに対抗する国鉄は、圧倒的な線形の良さを生かして、大阪・京都29分、大阪・三宮25分の153系新快速が気を吐いていたけれど、デッキつきの車体に直角椅子が並ぶ固定クロスシート・・
確かに急行型で、乗り心地はよほど調子の悪い車両以外では良好だったけれど、イメージが当時としても既に古すぎた。
いや、実際に酷使に耐えた車体は老朽化し、「古さ」が顕著になっていたのだ。
製造22年で老朽化というのは昨今のJR西日本の電車から見れば、考えられないほど早い。
それだけ車体や機器類の製造技術も進んでいなかったのだろうし、メンテナンスの技術も今ほどではなかったのかもしれない。
新快速に走り出した117系は国鉄近郊型としては破格のサービスで、転換クロスシート、空気バネ台車を備え、車内の内装も国鉄としては非常に気を配った「インテリア」と呼べる最初のものだったように思う。
153系の置き換え車種としては3系列、関東の185系、広島の115系3000台、それに関西の117系となったわけで、共通点はいずれも転換クロスを採用したこと。
その中で、僕には117系が一歩抜きん出た出来映えに思える。
初物好きの鉄道ファンや沿線利用客、それに報道関係者を多数乗せた117系処女運行列車は大阪駅を発車。
如何にも国鉄電車という発車の感じで、静かで揺れない阪急や京阪とはやはり違うのだと思ったものだ。
走り出すと乗り心地はまさに165系のそれで、同じDT32系の台車にMT54と言う組み合わせだから当然だが、これはこれで国鉄の良さも感じる。
座席は近郊型とは思えぬほど幅もピッチもゆったりしていて、当時のリクライニング機構のない485系初期車あたりより座り心地も良く、この点では平行私鉄を凌駕し、国鉄の勝ちだった。
もっとも、阪急・京阪の段付モケットは見ただけでも豪華で、座席生地の色合いが普通列車標準のブルーから茶色に変わっただけでは豪華さは感じない。
座席の枕には、ビニールレザーのクリーム色枕カバーまでついた。
走っていて、揺れで共振するのか、時折、荷棚が前後に揺れる。
今とは比べ物にならない、ゆったりとした走りの新快速は、個人的に電車の速度としてはちょうど良い感じで、この電車を一気に好きになったものだ。
好きだった153系ブルーライナーの引退は辛いが、117系と言う素晴らしい後輩の登場はそれを上回る喜びも与えてくれた。
さて、大阪駅から1時間20分ほどかかった姫路駅で、折り返し、転線する時の様子。
きりりとした表情はこれまでの国鉄電車になかった独特の風貌。
曲面ガラスの製造技術の進化で、車体の傾斜に合わせたガラスを製作できるようになり、それが、これまでこの手の車両の「垂れ目」的な雰囲気を一掃できた要因だったとか。
カラーリングはクリームと茶色で、国鉄の標準にはなかった色調。
実は、ここに吹田工場で保管されるモハ52の写真を入れるが、このモハ52のリバイバル的な意味合いを込めていたという。
鉄道ファンが見守る中で転線する117系。
今ほどには大騒ぎにならなかった頃。
鉄道ファンも国鉄も大らかだった頃だ。
初日の117系の車内。
大型のつり広告が大鉄局の意地を見せているように思う。
阪急・京阪は特急車両に限り、車内の中つり広告を設けなかったが、さすがに国鉄ではそういう例外は許されない。
広告収入も重要な国鉄の収入なのだ。
平天井、グローブつきの蛍光灯、妻面の木目調の化粧板、客扉もステンレス生地そのままではなく、化粧板を貼った格別なもの。
この点では特急型も凌駕していた。
車体妻部の銘板。
日本国有鉄道と川崎重工の銘。
記念すべき第一号の車両では、国鉄担当者がメーカーに赴き、台枠の強度を確認、結果、台枠の強度を高めるために現場で部材を追加するなどしたと言う。
それに腐食しやすいところでは最初からステンレスを用い、当時の私鉄の車両技術をかなりの部分で取り入れたとも聞く。
京都駅までこの電車に乗って、新型新快速の、それでも国鉄らしい乗り心地を堪能したものだ。
京都駅で跨線橋からみた117系電車の屋根。
通風器は存在せず、当時の新型気動車と同じ新鮮外気導入装置が設けられている。
流線型のデザインは、それこそどこから見ても美しい。
ヘッドライト回りのケーシングも当初はアクリルカバーのつもりだったのが、ステンレスの帯に変更された由。
阪急6300系の強烈な印象が大鉄局幹部にあったのかもしれない。
221系の登場で新快速の表舞台から遠ざかっていった117系だが、阪神淡路大震災直後の需要逼迫の時期に、一度神戸方面の新快速に復活したことがある。
写真は既出だがそのときのもの。この運用は223系が増備されるまで続いた。
今月で運行開始から丸32年を迎える117系電車。
その今の様子をここで少し。
紀勢線・和歌山線で走っている4両編成、色合いはオーシャンカラーと呼ばれる青基調の独特なもの。
和歌山駅で昨夏撮影。
こちらは日の暮れた和歌山線五条駅で折り返す117系。
この編成は車内未改造の編成だ。
そして新快速時代を彷彿とさせるのが湖西線での117系。
京都駅での停車の様子は、この電車全盛時を思わせる。
琵琶湖を望む志賀駅に入線する117系。
京都で一般運用につく117系は、大半が福知山線快速時代にセミクロス改造を受けているが、外観塗装が旧に復したおかげで117系のプロポーションの良さを実感できる。
117系の車内。
これはオーシャンカラー編成の原型タイプだ。
枕カバーが221系と同じイメージのものに変更されている。
こちらはJR東海所属車の車内。
枕カバーのイメージとしてはこちらのほうが原型に近い。
こちらは100番台の車内。
下降窓を採用して、内装の雰囲気もすっきりした。
化粧板が光沢となった。
これは、艶消し化粧板の劣化やメンテナンスを心配する声があってのことだと思うが、どちらも今に至るまで化粧板の劣化は目立っていない。
近江今津を出て京都へ向かう117系。
編成中に二丁パンタのモハがあるが、これは湖西・草津線での霜取りのため。
117系は永く全車両が健在だったが。、ついに東海の車両から廃車が始まっている。
出来るなら飯田線や中央西線山間部で専属車両として使えば乗客の評判も良いだろうにと思うが、JR東海は国鉄型車両の全廃を打ち出していて、すでに博物館入りした車両もあり、余命はそう長くないだろう。
JR西日本でも関西に残って原色で活躍する車両は少なく、岡山・下関へ転じて活躍している車両が多い。
僕の好きな100台はほとんどが下関に居るそうだ。
会いに行きたいと思うが、下関は今の僕には遠い。
五条駅で発車を待つ117系のサイド。
こうしてみても、美しい車両だとつくづく思う。
国鉄末期の傑作に違いない117系電車の少しでも長い活躍を心から祈る。
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